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2007年11月

肝炎支援策に自治体反発 「薬害は国の責任」?

肝炎支援策に自治体反発 「薬害は国の責任」?

そもそも、国民のすべてがどこかの自治体に所属しているのではないのか。
と、言いたい。
薬害が製薬会社と国に責任があるからといって、自治体にはその責務が本当にないのか。
自治体が使うお金は一体誰のためにあるのか。
そこに住まう人々のためであるなら、「C型肝炎検査」費用さえ、国と折半する案の一つも出てもおかしくないのではないのか。

幸い、あたしは東京都に住まいしているから、商工会議所で受診した健康診断でC型肝炎が疑われて、今こうやって自分なりによかれと信じる生き方ができている。

東京都と福岡県に住まいする人たちには、肝硬変や肝がんの罹患者はきっと減るだろう。
ある意味それは、早期に国の肝炎支援策に応じたところに住まいする者だけに与えられた優遇措置ともいえる。
兵庫県知事に問いたい。
こうやって国に反発するだけでは、明らかに助けられる肝硬変、肝がんの患者を見過ごし、将来健常者の比率を見比べられたときに悲惨な現状を見るのは、今活躍されているお役人さんではきっとないからですかと。

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自転車用ヘルメット

やっぱり、どうしても、自転車が怖いから、ヘルメットを買いに行った。
それも「東邦大学医療センター大森病院」と「大田区役所」と「大田文化の森」に行った帰りに。
なんか心が晴れ晴れとして、晩秋のわりには風も暖かかったから。
仕事といえば、「校正中」、「返答中」と、そしていろいろと。
お客様から返ってくるボールを待つ時が、まさにフリーランスの醍醐味。
当面、仕事の心配はないからルンルン、ルンルン。
何十分も掛けて相棒と二人乗り自転車でサイクリング。
なんだけれども、「うっ!」と。
びっくり、ひゃっくりするから、「やっぱりヘルメットは買おて。」
大森から矢口まで。
行ってきたのはY's Loadという自転車専門店。
決して腰が低いとはいえない店員さんの、どなたもが持ってはる専門性は、ど素人のあたしにもよーく分かった。
ストイックなまでの職人気質は、自分が常にそうでありたいと思う分だけ、他人様のことも見えてくる。
あれとこれと、いろんな問題を解決してもらって三階に上がってヘルメット売り場。
「イタリア製が一番小さいのですが、」と仰りながら、あたしの頭に被せてくださったもんの、「やっぱり、お、大きい。」
予想はしたもんのがっくし。
箱入りで並べられた大人用のヘルメットの棚に、ぶら下げられていた小学生用に、店員さんの目が移る。
「あっ!そうそう、この間オリンピック(量販店の自転車売り場)にあった小学生用は小さ過ぎだったんですよ。」と言いつつも、彼はそれを手に取って、やおら私に被せて「ホラッ!ぴったりじゃないですか。」
っえ~!
それは幼児用でサイズ49.5cmのものであった。
子供色で子供柄を、五十も過ぎたおばさんが被るって?!
「せやけど、安全性が一番ちゃうか? ここは買おてもろとき。」とJunko(双子の片割れ)の声が聴こえたからしゃあない。
店員さんに被せてもらったヘルメットのまんま、とある事情でそろーり、そろーりと自宅付近まで帰ってみれば、「腹へったぞ!」。
ここは先日の民踊大会のご挨拶も兼ねてと、先輩のお店に直行が決まって、到着してみれば「貴女、ほんとに頭がちっちゃいのねぇ。子供用のヘルメットなんかかぶっちゃって!」
だなんて、きっちりバレタのは何故?
そう。
お孫ちゃんのとおんなじなんや。
「大人用のSを見つけて買い直したらええやないか。」と相棒は慰めてくれたけど、あの店員さんは「そんなもん、絶対あれへん!」という目ぇしてはった。
ちなみに、相棒もヘルメットを選択する余地はなかった。
何故かって?
私と違って、今度は頭が大き過ぎた。

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自分と向き合う

C型慢性肝炎であってもごく軽度。
そして、心療内科に受信の必要性がありそうなうつ病。
なんだか、ちょっと可哀相な身の上にもみえるけれど…。

極度の緊張が引き起こした感情の大きな揺れも、どういうわけか今のところ姿を消した。
そして周りを見渡せば、血道をあげている地唄舞があり合気道がある。
そして、そして。
「生涯仕事」と断言できるほど好きな職業で、相棒と甥とあたしと。
そして神戸の家族、みんな仲良く暮らしている。
その、どこが不満やねん。
ちょっと目ぇを離した隙に「こむらがえり」を起こしてしまう、自分の頭に、そう叱りたい!

平成元年から始めただけあって、さすがに仕事で得られる充実感にはどっしりとした手応え(てごたえ)がある。
それに比べると、まだまだ走りだしたばかりの合気道に、地唄舞で得られるものが、充実感とは程遠いのは当たり前やのに、きっとそれが自身、許せないのだろう。
嗚呼!
あたしって、何て欲深いのだろうか。
「そんな生き急いでどうするのっ!」
miuraさんとの久しぶり電話でそう叱られたあたしは、ほんまに幸せ者。
されど54歳、否、たかが54歳。
「急がば回れじゃぁない?」と、それを思い出させてくださったのは昨晩だったのだけれども、今隣室で相棒の鼾を聞きながらつくづくに自分と向き合ってみれば、ほんまや。

これからは、ちょっとはゆっくり生きる練習もせなあかんな。
そう思いながら今年一番の寒空を、風呂の窓から眺めた。

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心療内科への受診

仕事の、特にそれがお客様との打ち合わせの場合、テンションが最高潮に上がってしまうことが昔は「生意気盛り」に見られて実際そうでもあったけれど、54歳にもなれば、経験に即したもの言いや断定こそ、受け入れられやすい。
それはプレゼンテーション資料づくりでも起こる。
機関銃から発せられるような言葉のシャワーに、相棒は付いていけないと言う。
まるでモンキーポッド(Monkeypod)の木のように、際限なく枝分かれしていくそれぞれのコピーを、相棒は頭の中でKJ法を使って整理してパワーポイントにする。
その作業を傍で見ながら「そんな明るい色はイヤヤ。」から始まって、「これは消して。」「それはちゃう。」とか。
「そんな下層なことを今言われても…」と相棒に返されたりして資料は出来あがっていく。
最後の仕上げが上がった頃は大抵夜が白々と明けている。
相棒の瞼はすでに半分以上閉じているのに、あたしの頭は冴え冴えとしていて、どうにも気持のもっていきどころをなくしてしまった頃、起こってしまうのが突然の鬱。
極度の疲労と緊張が続いた途端にぷっつん。
それは起こる。

「なんで洋ちゃんは、いきなり泣き出して電話してくるねんな。」という淳子からの問いに、あたしが心療内科に受診することになった経緯を述べたという。
そして返ってきた言葉がこれ。

「つまり、頭が悪なってんな。」と。
そ、それはちょっと違うような…。
今度電話してきたら、言うたろ。
「頭が悪くなったんとちゃう。頭がこむらがえりを起こしたんや。」と。

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ユーザーインタフェースが悪いから必要となるのがマニュアル。

テクニカルライターとして、言ってはならない言葉があるとするならまさに、これ。

ユーザーインタフェースが仮に不完全だったとしても、それをまた補完することも、マニュアルの役割の一つではないのか。

開発する技術者とマニュアルを制作するテクニカルライターの接点が、「批判や非難」の場であってはならないと、私は断じて考えている。

開発の先にあるものが、営業方針であるとするなら、マニュアル制作現場が下流だからといって、開発現場が最上流であるとも限らないこの現実こそ、踏まえなければならないと、私は考えている。

ユーザーインタフェースと製品のコンセプトとは切ってもきれない仲であるにもかかわらず、想定していたユーザー層が現実と乖離していたことが判明した途端、開発が要求されるのは仕様の変更であり、製品の発売日が最優先される場合は特に、初ロットで要求仕様を満たしかつ適したユーザーインタフェースを兼ね備えることは不可能に近いのが現実であるようにも思う。
そしてそういった、あたかも現場の混乱を製品上ではいかに回避させるかが、まさにマニュアルにかかっているのではないのか。

マニュアルは製品の一部。
この考え方をあくまでも貫いて仕事をしていきたい。
そう考えている私にとって、『ユーザーインタフェースが悪いから良いマニュアルが必要なのだ。』という論理は、到底認めるわけにはいかない。

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ウルソの処方箋がでたぞっ!

今日は東邦医大の検査日だった。
というか、そのはずだった。
だから、だから。
6時間前から禁食していた。
面談後に血液検査と超音波検査を覚悟してきた私に、「そんなもの一年に一回しかしてはダメです!」だなんて…。
えっ!
「け、血管腫があるから次は検査と仰ったと…。」と言い始めて、「あっ!そうでしたね。」
と仰りながらも、C型肝炎から肝硬変、肝がんへの経過図を指さしながら、「貴女の場合は、ココ。」と初期段階を示される。
「ココなのだからら、正直僕はいまのところあまり心配していないのですよ。」と。
来年の2月(!)に検査日を決めていただきながらも、誘眠剤の効果があまりなくなったことについては、ホームドクターであるHirayama先生に申し送りをしてくださることになって、「それでは…」という先生の気配に、少しでもC型肝炎の進行を抑えたい私はたまらない。
その気持ちをどうにも伝えられずに、秋波を送った相手を間違えなかったのが良かった。
きちっと受け止めてくれた相棒は物事をはっきりと口にする。
「C型肝炎は確実に進行するとおっしゃいますが、進行を抑える薬があると聞いております。お出し頂けないのですか。」と。
晴れて「ウルソ」の処方もHirayama先生に申し送りをしていただことになった。
嬉しくも少し複雑な気持ちは隠せず診察室のドアを閉めた。

帰宅して、パソコンに向かって「ウルソ」を調べて辿りついたのが「健康講座 ウルソについて」
 http://www.geocities.jp/zenkanren777/kouza6.html

ところが、見つけたのはそれだけではなかった。
担当していただいている先生は、いつの間にか準教授になっておられて、しかも「日本肝臓学会」の指導医もしておられたのだ。
あらゆるメディアで発信されるC型肝炎の早期発見へのキャンペーンは、国の指定病院であればそれだけ、患者さんの増加を引き起こしたに違いない。
指導医をなさって、しかも都や国への提言までされて、そして患者さんもお持ちになっている。

つまりは「貴女の前に、直ぐにでも手を打たなければ間に合わない患者さんがたくさんおられるのですよ。」
もしかしたら、喉から手が出るほど、そう仰りたかったのかもしれない。
「洋ちゃんはほんまに神経質やから。」
それどころではない方のためにも、もっとゆっくる構えなければ。
そしてウルソの効用に浴することになった嬉しさがじっくりこみ上げてきた。

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大田区民踊大会50周年の記念式典

予想通り失敗だらけの出場だったけれど、そして節目の会であることをどういう風にも受け止められていなかった私でさえ、一曲目の始まる際に幕が上がったときの緊張を、三日経た今でも感じることができる。
きっと気合と晴れがましさでいっぱいだったのだろうと。

6年先には還暦。
そして11年先にはリタイアする身であってみれば、その後の長い人生の送り方を、まさに見せていただいた感がある。

ほんの5年前までは「ワーカーホリック」であることこそ人生。
そう断言して憚らなかったこの私の変わり様。

「仕事一途の時期を経たから今があるのよ。」
そう仰ったのは、たまたまお隣の席におられた大先輩。
今でも会社を切り盛りされながらの参加だとか。
それはまさしく、自分の望んでいる未来の姿だった。

そして周りを見渡せば、諸先輩の多くはお仕事をお持ちである事実。
「定年退職したら趣味に生きる!」
それも良いだろう。
でも…。
少なくとも、私は生涯仕事人であり続けたい。
その中でこそ、趣味の良さを十二分に感じられるのだと。

図らずも新米の私が式典にまで参加させていただけて、何よりありがたかったのは、その確信を得られてからに他ならない。

次に控えているのが、プレゼンテーションと納期と、そして12月2日にある合気道初段審査。
どれもこれも、やっぱり頑張りたい。

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C型肝炎のセロタイプ1型(ジェノタイプの1b)には効果のないのが現在の治療法

今日はすごい記事を発見してしまいました。
嬉しいかといわれると、それはとても複雑ではあります。
しかしながら過去に、何度となく「インターフェロンの治療」を勧められたにもかかわらず固辞したことが、実は正しかったことが証明されたのですから、やはり嬉しいと、ここは素直に喜ぶべきなのでしょう。

引用:asahi.com「C型肝炎、薬が効くか判定 ウイルス遺伝子変異解明」
http://www.asahi.com/health/news/TKY200711140382.html

上記には、「貴女はC型肝炎のセロタイプ1型ですよ。」と言われれば、「インターフェロン」を抗ウイルス剤と併用して投与したところで効果はまったく見込めないことを発表されたと記されていたのです。
虎の門病院肝臓センターの芥田憲夫医師、熊田博光・同病院分院長さんたちが専門誌に発表されたのだとか。

そして戻ってくるのはやはり「舛添厚労相」さん。
ほらねっ!
そう言いたくもなるじゃありませんか。
C型肝炎の治癒=インターフェロンの治療
そうでないという現実を、今突き付けられて今後の政策をどう舵取りされるのでしょうか。
東京都が発表した「ウイルス肝炎受療促進集中戦略」だってそうなのではないでしょうか。
石原都知事の決定力。
ここはそれをフルに発揮していただきとうございます。
C型肝炎がウイルス性だからといって、風邪と同じように考えておられる訳では決してないのでしょうが、出された方針にどうにも隠しきれない安易さを感じたのは、きっと私だけではないと存じます。

虎の門病院の諸先生方が研究に研究を尽くされて出された専門誌への発表に、どんなに感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいです。

日々刻々と、一個人である私にさえ伝えられるさまざまな情報。
インターネットにさまざまな欠点があるにせよ、今の私にはこれほどありがたい情報源はないこともまた事実です。

あと何年経てば、私たちに効果のある治療法が構築されるのか。
それまで、頑張る頑張る。
それしかないのだけれど、現在今、仕事にも趣味にも家庭にも恵まれて生活できていることを考えれば、たかが病気。
「満足」という二の字を忘れたらアカン!
肝がんで亡くなった父の声が聞こえてきた。

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肝炎対策基本法案と東京都ウイルス肝炎受療促進集中戦略と

東京都では、
・指定された肝臓専門病院の診断書が必要
・インターフェロン治療医療費助成の「医療券」を発行される
・1医療機関ごと、毎月35,400円を超える額が助成される
・住民税非課税世帯の方は自己負担額全額

だだし、助成期間は、たったの1年で更新は不可。

「なんで一年やねん。」
インターフェロンに代わる新薬が認可されたとしても、きっと同様の高額医療費が掛ると予想するのはごく自然のこと。
それが、たった一年の投与で完治する人が何人いると想定しているのか。
たとえば、C型肝炎から慢性肝炎になっているあたしと同様のタイプの方は24か月の投与が必要で、うつ病の、不眠の、貧血の治療費までかかるというのに…。
肝硬変や肝癌罹患者への都の負担額の膨大さに由来するこの戦略。
専門家も大勢参加されての決定と聞いてはいたけれど、こうやって発表された戦略が、いかにも腰砕けと思ってしまって、残念無念さを感じておられる医療関係者がおられるように想像してしまう。
だって、それで助けられるのはほんのわずか、氷山の一角だと思うから。
出典:平成19年7月30日 福祉保健局 ~東京都ウイルス肝炎受療促進集中戦略~
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shippei/news/pressshippei070730.html

そして自民、公明党が肝炎対策基本法案を了承して、民主党との攻防が始まる。
確かに、
・住んでいても肝炎治療や検査が受けられる
これは画期的なことであると思う。
だれにでも平等に、手軽に検査を受けられるというのが早期治療の第一歩なのだから。

・肝炎患者が差別されないよう配慮する
と仰るけれど、どうやって?と問いたい。
あらゆるメディアで、「差別のない社会であるべき姿」を情報発信するのであれば、それはC型肝炎には限るべきではないのではないか。
C型肝炎だけが、いままだ差別の「さ」の字も受けてこなかった人たちだからなのか?
そうではないだろうけれど。
あらゆる差別の中で、C型肝炎だけを前面に押し出したキャンペーンにはどこか違和感を感じる。
日本は、激しい差別のある国とはいえないのかもしれないけれど、あらゆる形での「差別」はやはり存在する。
それを何故、今「C型肝炎」に限定するのか。
「自分がC型肝炎でありながら、そんなこと言うな!」
そう、謗られるとしたら私は幸福ものなのだろう。
でも…。
やっぱり、C型肝炎だけの差別の排除は絶対に許されるべきではない。
みんなで、そう反論しないのはなぜか。
こういうときこそ、メディアでご活躍の解説委員、コラムニスト、などなど世間に公知された発言力のある皆様の出番ではないのか。
胸に熱い思いが迫ってくる。

・薬害肝炎を念頭に「不幸な出来事が生じたことは事実」との文言を前文に盛り込んだが、国の責任には言及していない。
なんで?
ほな、一体誰の責任やの?
素直に、そういう言い方で国の責任者に、私は問いたい。
「あんた!逃げている場合やないのとちゃうのん。」と。
日本の国民全体の健康がかかっていることやんかと。
一刻も早くC型肝炎罹患者をなくすためにと、ほんまに考えているのが国であることを明記することと、しないのとでは、下部組織の動き方に違いがあるのとちゃうんかと。
そう、思うのは私だけなのか。

そして、やっぱり開きがある治療費の自己負担金。
今やもう、「巨大すぎて倒産したら社会問題になるから、国が税金を使い込んでなんとか屋台骨をささえてやるねん。」
こんなことを、どんだけの巨大企業にしたのだろう。
きっとこのツケが回ってきたんや。
それが、あたしの想像の範囲を出ているかどうかは、きっと専門家にしか分からへんのやと思うけれど、それこそ、是非お答えいただきたいものだ。
出典:肝炎対策基本法案、与党が提出へ
http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200711160002.html

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老後の楽しみ

まだ54歳にもかかわらず、「何が老後の楽しみやねん!」とはならないのが、最近の出版事情故。
大手書店ですら、ミステリマガジン(早川書房の月刊誌)を置いていないほど。
昔は、「EQ」なんかあったりして、何を隠そう私はそっち派であった。

でも…。
先日の大阪出張で立ち寄った新大阪駅にある書店には、ミステリマガジンが鎮座ましましていた。
(余談であるが、「使えるビジネス文書レイアウトの極意」まで揃えられていて感激!)

閑話休題。
何といっても睡眠時間を確保せねばならないし、仕事は山盛やし、血道をあげている趣味もある。
そう、だから活字中毒者からは抜けたはず。
せやのに、なんでミステリマガジンを買うのかって?
今、何がトレンドなのか知りたいではないの。
そして、そして。
見つけてしまった新刊に、ロバートファンヒューリックがあり、レイモンドチャンドラーがあった。
今買わずしていつ買うねん。
65歳になって、晴れて退職したときにはすでに廃刊だなんて。
そんなことは絶対に許すまじ。
私の愛して止まないディックフランシスの競馬シリーズの全巻を購入することはできないと聞いた。
ユーズドブックスだなんて、嫌過ぎ。
今までに何度彼の競馬シリーズを手にしたことか。
引っ越しの際に、そして甥と暮らすための空間を作るためにと、二度三度と病院に寄贈して、数年を経た頃また書店の棚から手にとってはレジへ…。
それがもうできないだなんて…。
クィネル亡きあと、私にとってこれはという作家は少ない。
P・D・ジェイムスの新刊「灯台」は、ついつい読んでしまって、自制心のなさを吐露したけれど、いえいえ、今は病持ちの身。
ここは、ほんまに買うだけ。本棚にきっちり納めさせてもらいます。
そう決心すると、なんだか書店での居心地の悪さは払しょくされて、あるある、お気に入りがそこかしこに。
まず見つけたのが、ブライアン・フリーマントルの新作。
なぜだろう、彼までホームズパスティーシュの仲間入りをしたが、私は成功したと思っている。その三作目が『ホームズ二世のロシア秘録』。
私の最も好きなチャーリーマフィンは最近登場しないけれど(ちなみに彼はハッシュパピー製の靴を履いている)、ダニーロ&カウロが登場する『トリプルクロス』も出ている。
ロバートファインヒューリックの『東方の黄金』、レイモンドチャントラーの『トライ・ザ・ガール』これは、絶対、絶対はずせまへん。

せやけど…。
今度の検査結果次第では、くわばらくわばら、これをベッドで読むことになったりなんかして…。
そう思うと、心がザワザワ。
嗚呼!19日は幸せいっぱいの笑顔で寝床に入れますように。
神さん、仏さん、そしてキリストはん。
ほんまに宜しゅう、お頼み申します。
それだけは願い下げにしてもらいたいから。

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新舞踊、されど新舞踊

新舞踊は、日本舞踊はもとより民謡、そして地唄舞にくらべて、大層庶民的な踊りであると受け止められているのは、たぶん間違いのないことだろう。

それでは、その受け止められ方と難しさまでも同じ関係があるのか、つまり新舞踊はいとも簡単で、それ以外の舞踊や舞は難しいのか。
否、といいたい。
「何をなさっているのですか。」と問われた時に、「新舞踊です。」と答えた時と、それ以外では相手様の反応が明らかに違う。
でも…。

それだけ入り口が広いのは確かなようには思うけれど、みなさん一様に忘れているのか、無視してるのが集団で見せる美しさ。
揃えることの何と難しいことか。
芸歴がみな一緒であれば揃うというものでもないし、かといって始めたばかりの人が、舞台上であからさまに先輩の踊りを逐一見ながら踊るというのもおかしなものだ。
日々、先生の「間の取り方」や「所作」を勉強することはもちろん大切なことではあるけれど、いざ舞台に立つ時は。
上手(かみて)であれ下手(しもて)、前列であれ後列でれ、前の人に合すためのリハーサルがどんなのも重要なのだと私は思う。
一つの舞台で三度ばかり。
そのチャンスで十分に自分のものにすべきなのだろう。

新舞踊といっても、流派によって歴史が異なる。
日本舞踊がもとになっているものやら、そうでないものまで。
どちらにしても、ないがしろにしてはいけないのは基本の足さばきなのではないだろうか。
まだまだ、きっと、いろいろあるのだろう。
手さばきと顔を目線と音の取り方に、その他いろいろ。

とにかく、思うことはただ一つl
新舞踊、されど新舞踊。
11月18日(日曜)、とうとう四日後に迎える大田区民踊大会。
あたしにとっては、勉強することはまだまだ。
ぎょうさんおますねん。

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C型肝炎と睡眠時間

風邪を引いてしまって治らないのに、この日曜日には民踊大会。
そこで貰って来ましたHirayama先生からの風邪薬。
「誘眠剤との併用は大丈夫でしょうか。」の質問に、「はいはい。肝臓に影響のあるもはなにも入っていませんよ。というお応えだった。
質問のの答えという意味では、ちょっと外れているような気jはしたけれども、帰宅直後にすべて服用してしまって悲劇が待っていた。
なんでかって?
起きたら、あれとこれと、そしてそしてこんなとこもそようと意気込んでいたのに…。
延々 20時間眠っても身体がふらふら。
それでも時々は起きて、「風邪薬がのうなってん。」とか、「今日のリハーサルは絶対行くから。」とか何とか、のたまっていたらしい。
昼も過ぎて、納品物無事完了させてこの状況をHIrayama先生に報告した返ってきた言葉がこれ、「本当に、良かったですねぇ。ご本人は不本意だろうけrども…。」
嗚呼!
ほんまそのお言葉通りでございます。
生涯を全うするのにあと何年あるのか誰もわからないのだろうけれども、私の場合は太く短く、充実した人生を。
そう、願ってやまないのでございますよ。
心の中で、Hirayama先生に向けて頭を下げたのであります。

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昇段審査が延期になって

「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン!」
思わず、そう叫ばずにはいられなかったのには理由がある。

金曜日朝一番、品川発999号の乗車を前に、前々日夕刻にかかってきた電話は、大阪に工場のある某企業であった。
今の私が曲がりなりにも自営業を営んでいられるのはこの、件の一部上場企業からの発注があったからこそ。
だから、だから。
前々日の朝から風邪で寝込んでいることが、そして合気道の昇段試験のために日曜日までは絶対安静を決め込んでいた決心は一瞬にして霧散した。
そして、薬と仕事先での打ち合わせがもたらす高揚感が抜けきって、ホテルに辿りついたのは午後9時。
リーン。
この頃に掛る電話は大抵仕事のクレイム。
げぇ~と思えば、あに図らんや「明日あるはずの昇段審査の延期」のご連絡であった。

それで身体の調子が戻る訳もなく、「喉が、耳が、い、痛い。」
せやのに、「ホテルの部屋がさ、寒い。」
それでも打ち合わせが成功裏に終わった晩の常。
話は尽きない。
あろうことか、未完の納品物を抱えている身。
忙しければそれだけ燃える、いわば得意といえば得意なスケジューリングも、昇段審査と民踊大会という大イベントまであるのだからことは真剣。
どこからみても、崖っぷちの状況やのに、何でやろう。
新幹線の駅に向かう前の三時間。
淳子(神戸在住の双子の片割れ)と相棒との三人で、HENRI CHARPENTIER (アンリシャルパンティエ 芦屋店)でお茶してみれば、その楽しいこと。
少しは元気が戻って、はるばる雪谷大塚駅(東急池上線)に付いた途端、パッチン、パッチン。
えらい音のする大粒の雨と冷え込み。
ゲェ~。
そこで翌日の練習を休むという考えのないのが私。
何故かって?
もちろん、未だにアカン!技の練習の機会がここに到来しているのだからだ。

閑話休題。
最近、やっぱりちょっとずつ、ほんのちょっとずつではあるけど、無理を控える心構えができてきたから、相棒とてっちゃんに宣言したのは「明日の合気道練習は1時間だけにする。」であった。
「えっ、偉いやんか!」
そう叫んでくれへん、相棒と甥のてっちゃん。
なんとも、同情心のない奴らめ。
この健気な姿をご覧と、言いたいのをこらえて、その晩は即刻寝床に入った。

起きてみれば雨がポツポツ。
あたしの身体と相談して発した言葉は「タクシーを呼んで!」
「そこまでするくらいやったら、休んどけ!」そう言いたそうなう二人の眼差しを振り切って、タクシーに乗り込んでみれば、自分の身体が「うん、うん。これでええのや。」と私に告げたから、ほんまに、ほんまに、10時からの練習は柔軟をしながら見学をした。
1時間をかけた柔軟と身体ほぐしとそして見学が、今のあたしにとっては最適なんだ、そう気づいてみれば、「2時間の練習が必ずしも実り多くない」ことを、やっとやっと自分で悟るに至った。
相棒に、てっちゃんに、そして淳子に。
何べん説得されていもでけへんかった「後退?」が実は「前進」なんやと気づいたのが結果的には遅かったとしても、「気づいた時がその時何や」と、やる気と身体の充実感を漲らせて3時間目の練習に臨んだ。

閑話休題。
持てるエネルギーを精一杯出しつくしてしまう昇段審査。
今のあたしには受けと取り。
両方することは到底叶わないことが分かっていたから、数年前から絶対昇段審査は二人でするんや!と決めていた相棒と組んでの昇段審査は断念せざるを得なかった。
冷静な自分がいるはずなのに、その決断の寂しさは隠しようがない。
この日を目指してきたのに…。
そう思う反面、私の身体を気遣った相棒の動きに最近やっと気付きだして思ったことはただ一つ。
それは相棒にとってはほんまはアカンねんな。
であった。
大学四年生のTakahasi師範に昇段審査のお相手をお願いするのに、勇気は必要なかった。
なぜって?
すでに、何回となく相手をしていただいていたからだ。
身長の格差(150cmと180cm?)、体重の格差(42kgと??kg)を感じさせない素晴らしい方だったから。
それはとりもなおさず、子供といっても過言ではない体格であるにも関わらず、力というか身体能力は大人である、ある意味一番扱いにくい私を相手に練習をしてくださっていたからにほかならない。
それを気付いたのは、もちろんあたし自身ではない。
事あるごとに、控え目だはあるが相棒(同じように身長差、体重差のある)の言葉の端々を掬い取って、四年間で感じ取ってきたことである。

そして、理由はほかにもある。
身体の小ささと両手首骨折故の握力のなさ。
これを逆手に取った合気道のやり方。
それを、導いてくださる大田区合気道会の師範の方々と御大、尾崎しょう(日ヘンに向)師範と。
そういった指導方法をしてくださっているからこそ、今の自分がいるのである。
12月初旬に延期になった昇段審査。
これを良いチャンスと捉えて、一つでも難関をクリアしたい。
「上手にできなくても、日頃の練習を披露する場なのですよ。」
前回の練習で、そう仰ったGotoh師範の言葉があるからこそ、次の練習からの目標があれもこれも、ありったけの指では数えられないのが、まさにあたし「梶本洋子」なんだよなぁ。

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もはや宗教的!(C型肝炎自助努力)

インターフェロン治療を受けないで日常生活を満足した状態で送ることのできる方法は何か。
そういう思いで、インターネットを見続ける日を送っていたのは、あたしにとって否相棒も入れて、すでに過去のものになっている。

何故かって?
倦怠感を意識することがなくなったからに他ならない。
どうやったかって?
それを開陳できないところが患者故。
何の科学的な論拠もなしに、もちろん素人だから当たり前のことだけれどもたかがブログ、されどブログ。
記載すべきものではないし、自分でもその根拠は判然としない。
そして思うことはただ一つ。
もはや宗教的ともいえるほど、自分で守ると決めた数々を励行するだけ。
きっとそれは個々人で違うのだろう。
加えて、医療関係者の文言の中に隠された確信?、言いかえれば行間を読み取る力の有無なのかもしれない。

生きる力というものが医療だけで戻ってくるものではないことも事実なんだという実感は、今の生活がくるくる回転する宇宙駒のようにあっちにこっちに心と身体を動かすからだけではなく、そこに『感動』というものがあるからこそ、私の場合は湧いてくる。

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環境と印刷料金の高騰と

先日、家元からの指示で新聞広告のためのチラシを注文した。
ほんの3か月前のことだった。
カラー両面、B5版3000枚で、17,000円だというインターネットでの宣伝に、思わず飛びついたのはいうまでもなかった。
そして、本社が東大阪といえば紙屋さんの団地のあるところ。
東京の支社は自転車で行ける場所にあった。
驚くことはまだあった。
営業の方とお話をするうちに、息子さんが同じ合気会に所属されているとか。
世の中は広いようで狭かった。
かくして、無事印刷をしていただいて新聞の折り込み広告をだして、来られた民謡体験者はお二人。
千三つの確立からいうと、結構ええ線いってる。

その経験から、ついついご紹介してしまった。
「とっても廉価で良心的ですよと。」
良心的であることになんの間違いもなかったけれど、問題は紙の値段の高騰。
どんなに印刷屋さんが頑張っても、これだけはどうしようもないのだと。
環境保全という言葉の重みを、こんな形で経験したくはなかった。
願わくば、自分たちが発注した時点であれば、ご紹介した方のらくたんを見るこそは恐らくはなかったに違いない。

でも、ご紹介したお客様はそれでも発注してくださることに。
その申し訳なさと、印刷屋さんの恐縮ぶり。
でも、実はこれも環境破壊ときっと関係があると考えたとき、ことの成行きはごく自然なものなんだ。

バブル期から続いてきた人間の自然破壊。
そして、何故だろうここ云十年とという間、印刷価格がずーっと抑えられている現実。
やはり…。
起こるべくして起こった現実。
消費者としては、遅きに逸した当然の価格上昇だと受け止めなければならないのだろう。

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倍賞千恵子さんとダークダックスさんの歌声に感動!

発端は、夜を徹して納品に向けた作業後の新大阪から此花までの運転中のこと。
新幹線では眠ったものの、到底睡眠時間が足りるはずのない相棒はどうにでもして安全運転をして打ち合わせ時間に間に合わせなければならないから、いきなり大声で歌いだしたのが発端だった。
仕事中にCDを掛ける習慣を払しょくしたから、ソラで歌える歌といえば…。
不意に歌いだしたのは、先日の大森文化センター祭りでコーラスの皆さんと歌った唱歌だった。
「やっぱりええよなぁ。」そう言いながら無事打ち合わせ予定の工場まで辿りつき、馴染みのお客様と顔を合わせれば耳も目もパッと覚醒するのは、仕事故当然といえば当然であった。

問題はその後。
昼前に完了した打ち合わせが順調だったから、余った時間をどうしよう。
明日の予定には準備の必要はなく、「そうや!三和町(兵庫県小野市)の実家に帰ろ。」
そう言いだしたのは相棒やのに、池田から高速に乗ってしばらくしたら「眠たい!」
そらそうや。
と心で思ったものの、出した言葉は「パーキングエリアで休憩しょ。」
そこで偶然見つけたのが、倍賞千恵子さんやダークダックスさん達の懐かしい歌声が収録されているCDであった。
CDの料金が2000円。
これが果たして高いのか安いのか。
そんなことは問題ではなかった。
一緒に歌える。
睡魔を追い払うにはそれで充分だった。

それがである。
倍賞千恵子さんの歌声が耳に届いた瞬間に受けた感動は、私の心を大きく揺さぶった。
次にかかったダークダックスさん。
ハーモニーとはこのことなんだ。
ピアニシモからフォルテしもの表現を久しぶりに堪能できて、またもや感激。

現代のJ-POPの皆さん、演歌の皆さんの良さがどうであれ、私にはそれを超越した何かが心に響き渡ったのだ。
琴線に触れるとは正にこのこと。

帰ったら倍賞千恵子さん、そしてダークダックスさんの各々のオリジナルCDを絶対買うと決めたのはあながち懐かしさからではなく、心洗われる歌声だったからに他ならない。

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国の肝炎対策とマスメディアへの提言と自助努力

朝に夕に政府の肝炎対策があらゆるメディアで報じられている。
間接的な支援から積極支援にいたった経緯がどういうものであれ、喜ばしいことで、正直嬉しい。
インターフェロン治療を受けられない私も、将来実現するだろう他の治療法を受けることになった暁には、この支援が受けられるから。

でも、メディアの使命は?と問いたい。
政府の政策報道だけではいかにももの足りない。
インターフェロンの効果が望めない罹患者について、そして数は少なくても母子感染した児童について、肝炎患者の差別という現実について、等々。
いくらでも掘り起こすべき情報はあるはず…。
それを取り上げて欲しいと切に願っている。

そして戻ってくるのは罹患者の今。
睡眠時間に限らず、食事療法などなど。
自助努力が実は一番大切なのではないか。
そう明言できるのは、自分が肝炎だから。
インターネットでいくらでも情報は引き出せた。
毎日励行しているあれこれが、自助努力に繋がったかどうか。
それが判明するのはきっと十年、いや二十年先かもしれないが、少なくとも「肝硬変」と告知されたときに、納得できる道はそれしかないと、私は考えている。

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遺言書

まさかっ!
今年のお正月明けに「この私が該当するはずがない!」と信じて疑わなかったのに、C型肝炎であることが判明したから、ewomanの「講演者講座」を受講している最中に知った「遺言書」の必要性を再認識するに及んだ。

財産を大して持っていない私がなぜかって?
「甥が大学を卒業するまで面倒をみる」と約束したから。
そして、
『自然があたし(または相棒)を呼んでいる(つまり、お手洗いに行く)』以外は、ほぼ100%相棒との居場所が一緒。
だから、だから。
例えば突如事故死する場合も、たぶん二人同時。

『遺言書を作っていなければ、「甥ごさん」にはびた一文相続がまわらないのよ。』と、件の講座でお友達になったNagaokaさん(司法書士事務所の所長さん)から助言をいただいて分かったことは「今、もし私たちがこの世からいなくなったら、甥は大学生活を断念せざるを得なくなる。」ということだった。
私たちと彼女と、どちらにも「久しぶりぃ!」だなんてお茶する時間はない。
そのことを「お互いそれだけ忙しいのは幸せの証拠」と言いあえることの何と有り難いことか。
「自筆で書いて印鑑を押せばそれでOK」ではないと分かってはいても、そうそう誰にでも相談できないのが遺言書。
かくして、Nagaokaさんにチェックしていただいた遺言書は、当然というかやはりというか不備だらけのものだった。
持つべきものはお金よりも友達ということを、彼女から送られてきたメールを読みながら実感した。

ちなみにewoman主催の「講演者講座」は、両目が飛び出るほど高額であったけれど、そこで得たものはいろんな意味で私の大きな財産になっている。

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「達人に学ぶ時間管理術」に異議あり

持病持ちで仕事と血道をあげている趣味が二つもあるから、もし「時間管理」に術があるなら、是非にでも学びたい。
そして発見したのがasahi.comに掲載されている掲題の記事
だけど…。

一部を引用させていただくと、
 「今日は、企画書を完成させて、A氏とB氏と打ち合わせをする」という(期待している行動)があったとして、夜仕事を終えたときに「企画書が完成。A氏とB氏との打ち合わせもできた」という(その日の実際の行動)があれば、幸せを感じます。
仰っている。

企画書というものは、計画した時間通りにできることが果たしてハッピーなのだろうか。
否、そうではないと私は考えている。
確かに時間通りにできたその当日はハッピーだろうが、最終的には、その企画が成功裏に終わったことがハッピーなのではないか。
「企画書は通ってなんぼ。百歩譲って評価されてなんぼ。」ではないのか。
私なら、明日までに仕上げなければならない企画書作りを今日のスケジュールに入れた場合(余程多忙なときにしかそんな危険は冒せないけれど)、その後に他人を巻き込むようなスケジューリングをする自信はない。

そして、筆者はこうも続ける。
時間管理は仕事の分量とは無関係で、充実感のある一日を送ることができるようにするかどうかなのです

繰り返すようであるが、仕事であれ、家族との触れ合いであれ、趣味であれ、相手のあるものではないのか。
自分はもとより、上司やお客様が、そして家族が満足することが大切なことであり、それを時間で計ることに私は到底賛意を呈することはできない。
実際、お客様との打ち合わせの中で、「今日は完了」と思った途端、「実は…」と続けられたお客様から出た言葉は「もう一つ案件が…。」それを「次の予約がありますので次の機会に。」だなんて、絶対に言えないのは私だけか。
是非にでも反論をお聞かせ願いたいものだ。

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「サブプライム問題」が及ぼす不安

経済記事を読むことなんて皆無に等しいあたしですら、「これってアメリカのバブル崩壊?」そう思わせるその怖さ。
昭和20年代後半に生を受けた私の年代は、まだまだ米国を羨望の眼差しで見ていた。
三宮(神戸市)のセンター街にあった「みっちゃん」は今でいうならソニープラザ。
舶来もんの、どれ一つをとっても恰好が良かった。
暮ともなれば亡父が、お正月にと買おてきてくれるのがその「みっちゃん」にある舶来のお菓子。
あの何とも云い現わしようのない米国の香りが、口一杯に広がるチューイングガムやキャンディの、何と大きな夢を与えてくれたことか。
それが、今ここにきて大きな不安材料を抱えている。
かつてあった「アメリカさんが転べば日本も転ぶ。」とか、「米国がくしゃみをすれば、日本は風邪をひく。」という言い回し。
子供であったあたしでも、それは十分に理解できた。
どうか、今現在はそうでありませんように。
祈るしかない。

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日課とは、仕事と地唄舞と合気道と

毎日、朝、昼、晩と、ちゃ~んと食事を摂ってはる人は一体どれくらい居てはるのやろか?
改めて振りかえってみると、あたしの場合はめちゃくちゃ。
これで病気と闘おうとする、否塩梅をつけようとするのがそもそも無理っぽいのだけれど。
一日三度の食事さへ励行できないのに、来週に控えている昇段審査と11月18日の民踊大会と、そして一番大切な仕事の納期。
それがみ~んなほぼ同時期に重なって、一体全体どうしたろ。
絶対譲られへんのが睡眠時間だから、残りの時間で毎日一遍でええから地唄舞のおさらいと、合気道の型練習と、そして残る大半の時間は仕事。
「洋子おばちゃん!」とてっちゃんが叫ぶ。
「それやり過ぎ!むっちゃリスキーやぞっ!」と。
「許すまじ。小林さんは優し過ぎるぞっ!」と。
そうなんやけれど、これが浮世の常。
枕に頭を落とすとき、一曲たりともおさらいをしてへんかった日に思い出すのは奉納舞台。
あの時の失敗は、毎日のおさらいを怠った故。
だから、だから。
「昇段審査も同じやぞ。」と、心に潜む悪魔が叫ぶ。
とにかく無為に過ごす時を削ろ。
そう決心した途端、リ~ンと鳴った電話の主は、久しぶりのお得意様。
結局これもスケジュールに押し込むことになって、仕事でキリキリ舞する高揚感が身体を駆け巡る。

そこに、「一時を大切に、集中力で乗り切るんや。」となだめすかしている自分と、日課の「に」の字に消しゴムを当てている自分とがいた。

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半身半立ち、片手取り四方投げが分かったぞっ!

来週にも初段の昇給審査を受けようとしているのに。
何んで今頃?
でも…。
尾崎しょう(日ヘンに向)師範の「半身半立ちの片手取り四方投げ!」とお声が掛って、「ギョッ?でけへんぞっ!」。
まだまだアカンなぁ。
う~ん。
と唸ったところで2時間目が終わったから、Takahashi師範に「すいませ~ん。」と教えを乞いに。
はっきりいって合気道は、いつでも何方にでも、素直に分からないことを宣言できて、教えを乞うことができる。
競技種目でないことの、一つの良さだろうなぁ。
例えば器械体操のように一つの技を習得するまでの色々を考えると、競技種目の場合はちょっと聞き辛い。

Gotoh師範が「半身半立ち、片手取り四方投げ」について、簡潔明瞭に言われた言葉はこれ、「身体の向きと足の入れ替え」だった。
そうだったんや。
Takahasi師範にしつこくお付き合いいただいて、やっぱり。

週に一度か二度の練習で、体得できるものはわずか。
それを痛感しながらも、そもそも「合気道を身体運動である」と考えるところが、私の勘違い。
投げることが目的ではないのに…。
「洋ちゃんのは、闘争本能のなすがままに動くとこうなる、ちゅう見本やぞっ。」って。
生来のハングリーさが、こんなとこにも顔を出しているのやろか。
歳のわりに老成とは程遠い自分に、今回はちょっと反省。
『前へ、前へと突撃、前進!、しまいにつんのめって転びなや。』
と、天から声が降ってきた。

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翔の会

事務所を、たった一人で始めたのは平成元年4月1日。
相棒と同棲を始めたのは1996年4月1日。
そして相棒のかつての上司が「達ての願い」と仰るので入籍したのが2000年の2月28日。
合気道を始めたのが50歳のお正月で、地唄舞を始めたのは52歳のお正月。
考えてみれば事務所開きをして以来、いろんなことを始めて、今現在ここに記したものは続いている。
「独立しようと思うのですが。」と相談にみえた方々に、「継続は力なり」と言いつづけると同時に、その難しさを身体で知っていただいた結果、どなたも独立を断念された。
何ごともそうだけど、始動するのはた易い。
ちょっとしたことだったり、魔が差したり、魅入られたり、あろうことか母と妹は「騙されてまっせぇ。今のうちに早よお目ぇを醒ましなはれ!」だなんて。
相棒が私と同棲するのを、止めようとしたのは私の身内だった。
それほどに、歳の離れた姉さん女房とのご縁は薄いもんらしい。
そしてたった一人の事務所であれ、平成元年から今まで続けることができる確率は、なんと1500分の1だそうだから、これも難しいらしい。
この暮で四年目の合気道と、二年目の地唄舞と。
そして、そして、次のお正月がきたら晴れてC型肝炎が判明して一年目。
好むと好まざるとにかかわらず、いろんなことが始まる。

今日、ある社会教育団体「翔の会」が産声を上げるべく、始動を開始した。
そのことの歓びと、継続の難しさを今思う。
いつの日かしっかりとした実をつける会であって欲しい。
そう願わずにはいられない。

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一昨日の今日、合気道の練習?

一昨日の晩に攣れた両足数えて10本の指は、翌日には健康そのもののように見えた。
そして、念のために行った整体でも、「腰からというよりは…。」
言わずもがなの先生のお顔の色を見つつ、「明日は静養しまっさかいに。」と申告してしまったから、一日置いた今日の合気道をどうしよう?
迷うのには当然の理由があった。
朝も早から赤坂見附で打ち合わせがあったのだ。
初めてお会いする担当者が、なんと取締役。
おまけに、議事を進めていきながらノートパソコンでカチャカチャ、議事録をお取りになっているではないか。
それにしても初めてのお客さんは緊張する。
「ライター風情が、どうせわてらの商品のABCも知らんのやろなぁ!」という目線を受け流しつつ、あからさまにならないように、問題の商品に対する理解度や質問などをさしはさんだり、時には業界の話題なんかもちりばめたりしつつ、「おお!こいつらやったら書きよるかもしれん!」という雰囲気づくりが終わった頃に、自然とムードも明るくなって…。
今回は、違った問題もはらんでいて、一筋縄ではいかないかもしれない。な~んて横から耳うちもされたけど、要はお客さんとお目にかかって意思の疎通が図れるかどうか。
というか、「ニコッ」と笑顔でご挨拶ができて、「ニコッ」と「承知いたしました。」が言える。
これ一つ。
以前の様々な案件を振り返るつつ、気負い込むよりは受け身の態勢が今回のパターンかな。
なーんて、ない頭をクルクル回転させて、最寄りの駅までの足が重い。
「寒ない?」と聞けば「えっ!暑いくらいやぞ。」だなんて。
ウールのタートルに、革のパンツスーツでの底冷えを感じて、「風邪かも。」

恐る恐る相棒から出た言葉は予想通り。
「日曜日があるねんし、今日はゴロゴロしとくか。」
先週は仕事やったのにぃ!そう思う心と、
一昨日の今日やのにぃ!と思う心と。
今日は後者が勝って、今から布団に直行。

でも…。
一昨日はパーキングエリアで、四方投げに、小手返し、そして入り身投げに、一教~四教までやったも~ん!

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弥次郎兵衛

一昨晩のアクシデントは、何ごともイケイケドンドンで済まそうとする自分を猛反省させる結果となったことは、大事にいたらへんかった分、良しとせなあかんなぁ。
二日続けて、十二時を聞く疾うの前には寝入ってみれば、さすがに今朝は6時に目覚めた。
隣のお布団では、相棒が高鼾をかいている。
昨晩寝入りばなに、「(洋ちゃんが)寝てる分、手ぇがかからんでええぞっ。」とてっちゃんと相棒がヒソヒソしていたけれど、きっちり耳に入っていたことを言うてうやろうと、肩を叩いて、一回、二回、何の反応もない。
あと一回ポンっとやりざまに、「コラ~っ!起こすな言うてんのに」だなんて、怒鳴られるのも…。
今回は如何にも形勢が悪いから。

独りで目覚めると、どうしてかお腹が空く。
それを理由に人を起こしたくなる訳ではないけれど。
何でって?
食事は一人で摂るより、みんなで食卓を囲む方が美味しいに決まっているから。
顔でも洗おかしらん、と思いながらブログを書き始めた。
だらだらと書くブログも、偶には異色でええやろと、心を慰めて書きながらも、一昨日のアクシデントの記憶が蘇る。
昨日お世話になった、いつもの整体の先生がおっしゃった原因は、冷えと睡眠不足と、エネルギー不足の所為で、つまりは電池切れを起こしたのですよと。
電動歯ブラシも電池が切れかけたら動きが緩慢になって、終いには止まってしまう。
きっとあれと一緒やろうなぁと、思いながら聞いていた。

弥次郎兵衛のように、あれとこれと、それもと。
真中に立って、気力と体力の二つの重しをしっかりさせたら、安生ことは運びまっせぇ。
時間との戦いという生き方を変えてきたはずやのに、やっぱり24時間をフルフルに使こてる自分への警告だと思うにつけ、「やればええというもんやない。」「頭を使こて…」
天才にはなられへんけど、能率協会に表彰されるような生き方はできるかもしれへん。
2006年2月1日からブログを立ち上げて、昨日まで。
無駄な時間がなかったといったらウソになる。
そして今日からは「充電時間と消費する時間」。
弥次郎兵衛のように上手に使った生き様をブログに書けたらなぁと思う。

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東京急行電鉄さんと荏原タクシーさんと

私たちの住む今の日本社会は、福祉国家になり得たのか。
障害者や弱者に優しい国家であるのか。
それを試すために、大規模訓練のタンカに横たわるお人形さんさながら、昨夜の所業に及んだわけではない。
もちろん、アクシデントであったから衆目の前に晒されたから、とても恥ずかしかった。

前夜の睡眠を怠って、ずーとパソコンと睨めっこ。
ご過労さんだっただろうに、翌日も水分補給を怠っていたから、なるべくして襲った身体の急変。
最後の楽しみ地唄舞のお稽古が終わって、東急の池上線のホームに立っている時、両足の10本の指が同時に攣れた。
パニックニなったらアカンっ!
と思うぐらいで足が治るはずもなく、足袋を脱がしてもらって、この寒いのにホームに座りこんで相棒に10本の指を逆に曲げてもらう以外に当面方法がなかった。
夜も午後9時を過ぎれば、小さな駅に乗客はまばら。
でも、相当に恥ずかしいかったやろなぁ。
二台、三台と電車を乗り過ごしても足の攣れは治らなかった。
取り敢えずは地面から椅子にと、相棒に抱きかかえながらの移動。
ほんま、旦那(相棒)さんが居てくれて良かったぁ。それも大きい旦那さんで。
「取り敢えずは駅員さんに相談して、タクシーを呼んでくるから待っとき。」
そう言われて独りになると、また不安が募ってきてひざ下まで攣れが広がりそうな予感に、「ここは淳ちゃん(双子の片割れ)に電話しょ!」
あらぬ不安を払しょくしたり、激昂した心を落ち着かせなければならない場合、淳子との電話は劇的な効果をもたらしてくれる。
双子の絆が科学的に証明されたかどうかは知らないけれど、あの時は淳子の声がまさに天の声にも思えて、相棒が戻ってくるまでの十数分間を、心安らかに待てたのは何よりだった。

下丸子駅の駅員さんは、まだまだ青年といえる年代の方だったけれど、車椅子の扱い方には確固たる自信をみなぎらせていたし、応対もとても親切でこんなことででも、弱者にならなければ到底分り得ないだろう、東京急行電鉄の在り方に感じ入った。
都合1時間ほど、お一人の駅員さんを独占してしまって感謝と申し訳なさと、ほんまにほんまに、ありがとうございました。

そして、いつもは自宅からお願いする荏原タクシーさん。
こんなアクシデントがあったからこそ駅からの予約を、特例としてではあったけれど、快く認めてくださってなんとか帰路についた。
日頃からお世話になっていて、「お年寄りご用達の荏原さん」とは思っていたけれど、今回の特例。ほんまにほんまに、ありがとうございました。

下丸子駅の椅子から車椅子に、そしてタクシーに、はたまたタクシーから自宅の寝室に。
ずーっと抱きかかえられての移動は、「身体の小さい奥さんの特権」とはいえ、朝方までの仕事を終えて、自動車を使っての遠路打ち合わせ、そしてトンボ帰りして地唄舞の帰り。
「あんたも疲れてたのに、ごめんなぁ」と心では、切に思っていたのに、なんでやろう?
口から出た言葉に自分でも驚く。
「なぁ、途中で落さんといてなぁ。アカン、壁に足が当たりそうや。」
嗚呼!
まだまだ修行が足りてまへん。

東京急行電鉄の駅員さんと、荏原タクシーさん。
社会的な立場の企業とそのお勤めの方。
日本もまだまだ捨てたもんやないことを、偶然体現させていただくはめになって、「ええとこに住んでるんやなぁ。」と実感した。

そして、ええ相棒と住んでるんやなぁ。
実感して、感謝した。

そして、そして「地唄舞」のお稽古をしている間は、そんな予感さえ毛ほども感じないところが、また不思議といえば不思議なこと。
「よっぽど地唄舞の神さんから好かれとるんや。」
ほんまに。

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