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2008年1月

2008年1月25日 (金)

C型肝炎に罹患するということ

気持ちの整理がまだつかない。
その理由を相棒である主人は、こう説明した。
「きっと怒りをぶつける対象がなくなったからや。」
そうでもあり、そうでもなくもある。

気力を削がれるということが、一体どういうことなのかを具体的に実感したことに嬉しさがないのは当然のことではあるが、自分が今、必死になっているのは、誰あろう自分を壊そうとする力との戦いである。

「や~めた!」と言うことを。
頭から布団を被って泣くことを。
怒りをブログに、メールに、ぶつけることを。
良い子ちゃんでいられなくなることを。

何故泣けないのだろう。
そう考えたとき、猜疑心が沸々と湧いている自分に気づいた。
「これは、ほんまか?」と。
それがどんなに理不尽な猜疑心であろうと、私を止めることは誰にもできないだろう。
そして、生涯この猜疑心は消えないだろう。
「どこかに、なにかある」のだと。


今日、神戸労災病院長から薬害肝炎弁護団 代表 鈴木利廣氏宛の『血液製剤使用などの調査について』(回答)が、薬害肝炎弁護団 事務局長 弁護士 福地直樹氏から送付されてきた。

福地直樹氏は、回答結果について「このような結果となりましたことを非常に残念に思っております。-中略-当弁護団としては、今後もなるべく多くのC型肝炎罹患者にこの法律が適用されるよう国と定期的に協議し、すべてのB・C型肝炎者への治療助成、薬害根絶のために活動をしてまいります。-後略-」

委任状を送付しただけで、送付いただいた切手代さえお支払していないことに気づいた私。
弁護団にしていただいた活動と、今後の活動に感謝しこそすれ不満の一文字もない。


それなのにどうだろう、この哀しさと悔しさは。
何よりもがっかりした。
神戸労災病院には「カルテはない」と記載されていたのに、私が入院した当時のカルテは存在した。
入院カルテは。
ではなぜ、入院カルテのコピーは添付されていないのか。
ドイツ語だから?
コピー代金を同封すればよかったのか?
なぜ手術記録はないのか?
そんな疑問を持ってはいけないのか。
手術中にこそ、問題の血液製剤が使われた可能性があると考えるのは素人だからか。
そして、次のような注記がなされていた。
『カルテの上では使用したとの記載はない。』
L_carte__1
『カルテの上では』と条件づけられた意味合いは何か?
ぶつけたい疑問はいっぱいある。

でも…。
委任状を送付した段階で、弁護団の意思が私の意思となった。
それは最初から分かっていたことだし、今でも理性では尊重している。
問題は、心の悪魔ともいうべき心情がそれを許さないのだ。

故天野事務局長をはじめたくさんの方々が肝炎対策の拡充に向けて、患者支援と肝がん撲滅のための施策を展開してもらえるよう、都議会・都知事への要請をされたことで、実現した都のウイルス肝炎総合対策。
だから私はC型肝炎でも初期の段階で治療を開始できている。
それは、言葉に言い尽くせないほど感謝している。
だからこそ、『C型肝炎に罹患するということ』というブログを続けてきた。

C型肝炎を告知されて間もなく罹患した躁うつ病とも折り合いをつけて生活をしなければならない現状を考えたとき、『C型肝炎に罹患するということ』を続けていくことには無理があると判断いたしました。

『C型肝炎に罹患するということ』のブログをお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

sinさんへ
今までいろんなご助言、ご指導ありがとうございました。

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2008年1月24日 (木)

C型肝炎に罹患するということ -その32

インフルエンザの症状がやっとなくなった日は、ちょうど仕事は谷間の終了日。
つまり、翌日からはスケジュールが目白押し。
「そんなんしたらアカン!」と叫ぶ自分がいて、「仕事は仕事。約束は約束。」どこか言い訳がましい自分がいる。

sinさんの「肝臓のなかまたち(第二世代」(http://kanzo.blog74.fc2.com/)を拝見して、東京肝臓友の会の天野事務局長(日肝協・常任幹事)が逝去されたことを知った。
350万人B型C型肝炎罹患者のための運動の悲しさは、将にここにある。
活動者が、一人また一人と無念の死を遂げられること。

亡父は肝臓癌を患い動脈瘤破裂で逝った。
「肝生検だけは受けるな!」という遺言は、彼自身にしか分からないにしても絶対的な確信を持ったいた。
それは溯ること32年も前のことであった。
ルドルフ・ヌレエフは1993年にAIDSで逝った。
それも遡ること15年も前のことであった。
医学は進歩した。
現代医学をもってすれば、父は肝生検を拒むことができたし、ルドルフ・ヌレエフはいまだにパリ・オペラ座芸術監督であり続けたかもしれない。
でもそれは絵空事。

絵空事でないのは、350万人のB型C型肝炎罹患者への支援がなされないがために肝硬変から肝がんになって手遅れになってしまう肝炎患者が増えること。
「350万人のB型C型肝炎罹患者への支援を国に認めてもらいましょう。」
その運動をされる方々の多くもまた罹患者と聞く。
その哀しさはどうだろう。

夕方から東京商工会議所、大田区工業連合会、大田区商店街連合会主催の「新年賀詞交歓会」に参加した。
大田区長をはじめ、衆議院議員、東京都議会議員が来賓として招かれ、それぞれ祝辞を述べられた。
話題はやはり世界規模の株価暴落、米国のサブプライム問題。
それが日本経済にどう影響するのか。
そして大田区の商工業の活性化。
確かにそれも重要な問題ではあるだろう。
だが、誰ひとりとして区民の健康問題に触れた人はいなかった。

大田区が、東京都が、日本が、アジアの中でリーダーシップをとり続けていくための問題点は、その核となる人々が一人また一人と倒れていく現実ではないだろうか。
これこそ、真剣に、早急に手を打たなければならない重要な問題ではないのか。

人間の命よりも大切なものなど、断じてない。
私はそう考えている。


ルドルフ・ヌレエフ(英-Rudolf Khametovich Nureyev,露-Рудольф Хаметович Нуреев,1938年3月17日-1993年1月6日)は、ソ連生まれのバレエダンサー。 :
中略
 :
1961年海外公演の途中に亡命。
63年ごろから英国ロイヤル・バレエのゲストとして20近く年上のマーゴット・フォンテーンとペアを組み、後に伝説のパートナー・シップとまで言われるようになる。後にオーストリア国籍を取得。
80年代にはパリ・オペラ座芸術監督に就任、シルヴィ・ギエム、シャルル・ジュド、マニュエル・ルグリなどを見出した。また、レパートリーを一新して、ウィリアム・フォーサイスなど現代作品を積極的に採用、現在のオペラ座の隆盛の礎を築く。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2008年1月21日 (月)

民主党 松原仁衆議院議員に異論あり!

過去にブログ上で、個人を特定してご提案させていただいたことはあった。

今日は違う。
はっきり言わせていただく。
私がこれまでに書いたブログ内容と同等のものを民主党党本部にメールで出して返ってきた返事はこれ。

 このたびは、民主党へ「ご意見・ご感想」をお送りいただき
誠にありがとうございました。メールの内容を担当者に伝え、
党運営や政策立案の参考にさせていただきます。
毎日多くのメールをいただいているため、個別の回答が差し上
げられないこともございますが、何卒ご容赦ください。
 国民のみなさまの思いをしっかりと受け止め、日本の政治の
転換のために取り組んでまいります。
 いっそうのお力添えと、今後とも変わらぬご支援を、よろしく
お願いいたします。


そして、ある日突然、民主党 松原仁衆議院議員の秘書がお見えになった。
つまり、「ピ~ン、ポ~ン」である。
主人は徹夜明けで寝床の中。
私はこんがらかった糸をほぐそうとクライアントとの電話中。
「エ、エーイ!宅急便めぇ!」
そう思ったのは自然の成り行き。
クライアントに断りを入れてインターホンを取れば、「民主党 松原仁衆議院議員秘書の行實(ゆきざね)でございます。いただいたメールについて詳細をお聞きしたくてお伺いいたしました。」と。
そんなも~ん。
クライアントをなだめすかしとる最中に何が「お話」やねん。
「ちょっと電話中で手が離せません。」と申し上げたところ、「では、名刺を投函させていただきます。」ときた。
そうか、そうか。また来るねんな、と。
その気になった私は、クライアントの電話終了後思わず貴方、松原仁衆議議員 議員事務所に電話をしてしまったじゃないの。
暇なのは翌々日だから、その日にいらしてくださいと。
電話に出られた方は「はい。その旨行實に伝えます。」と仰った。
そらから待つこと二週間。
二度と訪問はおろか電話さえ掛ってこなかった。

そして今日、大田区民踊連盟の新年会が模様され、来賓としてやってこられたのは貴方、松原仁衆議議員でしたね。
各テーブルを回られた時をすかさず、その旨のお話をさし上げたところ「では、後日行實から連絡をさせます。」のひとこと。

私の瞬間湯沸かし器は沸騰した。
新年会の来賓挨拶が終わったと思ったら、もう貴方は出口に向かっておられましたね。
そして、走り寄った私と主人に貴方は、どんな事情かも一切聞かれることなく、「次の予定がございます。残っております秘書に伝えておいてください。」貴方は、私たちに名刺の一枚を出されることもなく、颯爽とドアを開けて肩で風を切って出て行かれたのでした。


民主党本部の方へ。
メールの内容を担当者に伝え、
党運営や政策立案の参考にさせていただきます。
この「党運営や政策立案の参考にさせていただきます」ということを実行に移すと、松原仁衆議院議員のまさにこの姿になるのでしょうか。

 国民のみなさまの思いをしっかりと受け止め、日本の政治の
転換のために取り組んでまいります。

松原仁衆議議員のこの態度が、日本の政治の転換のために取り組まれる姿なのでしょうか。

ここはぜひ、小沢一郎代表、または菅直人代表代行にお答えいただきたいと存じます。
個人および団体を特定した批判、避難は、極力しないようにしております。
しかしながら今回は、許せませんでした。
350万人のB型C型肝炎罹患者のことを、そして日本の医療制度を抜本的に改革されようとしている党とも思われぬ態度。

"Et tu, Brute"(ブルータス、おまえもか)

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2008年1月20日 (日)

C型肝炎に罹患するということ -その31

C型肝炎の症状が発現したからか、抵抗力が弱っている。
そう実感したのは、たかが風邪ぐらいで寝床から起き上がれなくなったばかりではない。
「熱があるみたい…。」とキーボードを忙しく叩いている相棒にしおらしく声を掛ける。
普通なら、ちょっと「同情をかう」そぶり何かみせちゃったりして、ディックフランシスの最新刊「祝宴」を手に以て寝床に…。
なのに…。頭を締め付ける痛さは尋常ではない。
そして熱っぽいどころではなく、なんかヘン。
「なぁ、なぁ。」と相棒を呼んだのが朝方の4時。
早速タクシーを呼んで、東邦医療センター大森病院まで行って待っていたのは鼻の穴に細い綿棒を差し込む検査。
そんなもん、耐えられるわけがない。
「イヤイヤ」をしても、どうあっても許してもらえなかった。
後ろから「僕が抑えておきますわ。」だなんて、なんとつれない相棒の発言。
結果、インフルエンザであった。
14日から、私はほとんど寝床にいた。
そう、このブログだけを日課にして。
そして20日も午前3時になんなんとして、身体全体からフツフツと湧いてきたのが元気である。
今更今朝納品の手伝いをするわけにもいかない私は、身体の持っていきように困らずに、ほくそ笑む。
ウッ、シッ、シッ。
C型肝炎に一番必要とされている睡眠。
私は14日から20日朝2時までのほとんどを、将にその睡眠で過ごしたのだから、今日こそ、今日こそ。

そう、ちょこっと練習してやる。
地唄舞をちょこっと。

2月に血管腫の超音波検査を控えて、自暴自棄になったりはしていない。
C型肝炎であるということを自覚しない日は、一日とてない。
でも…。
私の、愛して止まない仕事、地唄舞、合気道。
そのどれ一つも手放すことはできない。

B型C型肝炎が医原病であったとして、私たちの戦いは今始まったばかり。
戦いだけが人生ではないのも事実ではないだろうか。
仕事をしなければ明日からの生活はない。
50を疾うに過ぎてみれば、仕事だけが人生であった時期は終わった。
人生というものは、仕事なしでは語れないが仕事だけでも語れない。
そのことを悟ってしまった私には、病魔から敵前逃亡するつもりもないけれど、仕事はもちろんのこと、地唄舞からも合気道からも離れるつもりは毛頭ない。

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2008年1月19日 (土)

C型肝炎に罹患するということ -その30

平成元年に個人事務所を設立した時から、諦めないことで今まで生きてこれた気がする。
今は亡きPC9801VM21からIMB5550にデータを転送することなんて、誰が考えただろう。
でも何とかできるはずだと、何かあると確信していた。
そこには何の根拠もなかったが。
果たして、コンピューター会計をやっている知人を何とか呼び寄せ、RS232Cクロスケーブル直結で成功させた。
これができていなかったら納品はできていなかった。
将に綱渡りの人生である。

MacintoshとWindowsの流れに翻弄されながらも、最終的に選択したWindowsに間違いはなかったと確信している。
が、一時期はIllustratorやPhotoshopは、Macintoshでしか作業ができなかった。いちいち媒体を介してのデータのやり取りの煩雑さ。
きっと何かあるに違いないと確信した。
そして、見つけたのが誰あろう、今の相棒である。
彼は見事MascintoshWindwoswsを同じネットワークに組み込んでくれた。

これらすべて納品にかかっていた。
いつも、いつも綱渡りをしながらも最終的に納品物は大きな評価を得た。

この人生の中で、今私は病気と直面している。
薬害肝炎訴訟の原告になるべく、模索もしている。
何か、どこかに糸口があるはずだ。
それを、ずーっと考え続けている。
嗚呼!
私も名探偵コナンになりたい。
若さが衰えた分だけ、経験値は増したはず。

きっと見つけて見せる。
C型肝炎でい続けられる生き方を。
そして、薬害訴訟の原告たるべく何かを探してみせる。

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2008年1月18日 (金)

C型肝炎に罹患するということ -その29

私は薬害肝炎訴訟全国弁護団に委任状を出したから、すべてお任せしている。
でも…。
私の手術は33年も前の話。
最初から、インターネットに掲載されていたフィブリノゲン納入先病院のカルテ有無欄には「無」とあった。
この時点で、バッターアウト!
そして田辺三菱製薬に問い合わせもした。
帰ってきた答えは「貴女は該当していません。」
う~ん。
そう思いながらも、なぜかどっか引っかかる。
カルテだけではなく、担当医の証言も証拠として採用されることになったことがきっかけで、ある日勇気を持ってメールを出した。


日本手の外科学会JSSH と日本整形外科学会事務局にである。
熟慮の上だった。
左手首をポキッと骨折したぐらいで覚えておられる先生は少ないだろうが、私の場合は、違った。
島根大学器械体操部に在籍し西日本学生選手権を前に、両手首に負荷を掛けられなくなって、整形外科でのレントゲンの結果は両手首骨折。
郷里で手術を受けるべく、神戸に帰ってそこで巡り合ったのが竹内先生と藤原先生?であった。
人間は本来12歳まで骨が成長し正常に分化するのに、私の場合は9歳で分化が止まっていたと、つまり左手首の舟状骨と隣の骨が分化していなかったのだと。それが器械体操をすることによって、舟状骨と隣の骨の間にひびが入ったのだと。
右手首は自然治癒するだろうといわれ、「左手首は、舟状骨と隣の骨の間にひびを広げて、右大腿筋膜を埋め込んで偽関節にする手術になるけどしますか?」と問われた。
その「しますか?」に成功率が60%しかなかったことは成功して後知らされた。
手術の最初から最後まで意識があった。
あの時を境に、手術という手術はすべて私を恐怖に陥れるようになった。
余りにも原始的に思えたからだ。
右手首にノミをあて、金槌でコンコンする音が聞こえたかと思うと、今度は右足にドリルが差し込まれて、大腿筋肉が採取されるのが分かった。
怖かった。
二度とふたたび手術なんか、絶対、頼まれてもせえへんっ!
そう誓ったのだけれど、その手術は成功裏に終わり、今どの指も自由に動かすことができる。合気道もできれば、地唄舞で扇を持つことも、そしてなんとこうやってパソコンで文字を打ち、Illustratorで絵すら描くことができる。
当時のお二人の先生に、感謝しこそれ恨みごとなど一切ない。
退院する日、藤原?先生は「どんなことがあっても、これ以上身体にメスを入れてはいけない。これだけは覚えておきなさい。」そう仰った。
なぜだろう。
お名前もちゃんと覚えていないのに、この言葉だけは鮮明に覚えている。


昨年1月にC型肝炎さえ見つからなければ、美談ですんだ話である。
今でも、神戸労災病院で手術にかかわったくださった両先生には感謝している。
それでも、やはり今の自分の心は騙せない。
もし、お目にかかることができれば…。

確かにカルテは消えた。
でも。
今年40ぶりで中学校の同窓会のハガキが舞い込んできた。
そう、33年よりも古い40年前のものが。
探しようによれば、探せるのではないの?

心に住む小鳥がさえずり続けているのを、止められない自分がいる。

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C型肝炎に罹患するということ -その28

『薬害肝炎で医療機関公表、新聞広告「届かない」の声続々』
という記事をYOMIURI LINEでみつけた。
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080117i515.htm

要約させていただくと、
薬害C型肝炎問題で、血液製剤「フィブリノゲン」の納入先とされる約7500の医療機関を、政府が広告した新聞折り込みが、一般紙の発行部数(約4500万部)の7割程度にしか配布しなかった、つまり3000万部しか配布しなかったことが問題の発端らしい。

記事から引用すると、
内閣府政府広報室は「複数の新聞を購読している世帯なども勘案して3000万部としたが、十分でないという意見もあった。今後は配布の方法を検討したい」としており、配布されなかった世帯は「市役所や都道府県庁などで受け取るか、厚労省のフリーダイヤルを利用してほしい」としている。
のだとか。

今回の対応に限らず、福田内閣のやり方にはいつも何か落ち度、というか詰めの甘さを感じてしまう。
最初に出された裁判所から出された和解案を即刻原告が拒否した途端、福田首相の対応が一変した。
そして、今回の新聞配布量問題。
複数の新聞を購読している世帯を、本当に調べて逐一選んで配布したのか。
そんなはずはないだろう。
現に「薬害肝炎で医療機関公表、新聞広告など、届いていない!」という苦情が殺到したのだから。
その苦情が福田内閣への支持率を考えたら3000万を4500万部にすることぐらい、安いことだったと思うのはわたしだけだろうか。

そこに見えてくるのは、やっぱり国民に対する軽い視線だ。
高が国民。
そう、高らかに笑う声がここからでも聞こえてきそうだ。
でも。
今回は違う。
すでに、私の周りにぞくぞくと「私もC型肝炎です。B型肝炎です。」というお声が届き始めている。
待ったなしの現状を、どうか国会議員、有識者、そしてあらゆるメディアの方に、その認識をもっていただきたい。

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2008年1月17日 (木)

C型肝炎に罹患するということ -その27

YOMIURI ONLINEによると
『薬害C型肝炎、17日の新聞広告で血液製剤納入先など公表』とある。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080116i217.htm

そして、自宅にも「政府広報|厚生労働省」と冠する新聞の折り込みが入っていた。
まず目につくのは『C型肝炎ウイルス検査をお受けください。』
そして、検査対象についての説明書きと共に、受診機関が記載されていた。
検査費用はといえば…。
(一部の自治体では自己負担が必要な場合があります。)
へぇ~。
厚生労働省の抑えがきかへんのや。
これが私の正直な感想であった。
医原病であることを認めながら、なおその検査費用を国民が負担しなければならない自治体があるなんて…。
自治体の費用は、自治体に属する人たちのために使われるべきものだとするなら、医原病、それも早期に発見しなければならないこの検査に使わずして、何に使うのか?

そして次に厚生労働省の問い合わせ先の列挙の後にあったのが、(A)フィブリノゲン製剤納入先医療機関と、(B)非加熱血液凝固因子製剤を血友病以外の患者に投与した可能性のある医療機関であった。

でも、このリストを私は疾うの昔にインターネットで見ていたし、インターネットから欠落している部分にショックを受けた。
何故欠落しているのか?
カルテの有無という大切な記載事項が。

カルテがなければ、担当医なりそれなりに証明できる書類なりを用意しなければならない。
そのことをブラックボックスにする。
そのやり方に、どうしても納得できない。
何故かって?
例えば、私は33年前にこのリストに掲載されている病院で手術をした。
でも、カルテが存在しないのである。
(ちなみに、インターネットでは容易にそれが分かる)
カルテが存在しない場合、現在のところ薬害肝炎の原告にはなれない。
それ以外に証明する何かか担当医の証言がなければ。

もしかして
もしかして、リストに掲載された病院で手術の経験があり、C型肝炎に罹患している人は、医原病として認定する方針に、国は転向するのだろうか。
そんなことはあるまい。

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C型肝炎に罹患するということ -その26

薬害肝炎訴訟のこれから

解説委員室ブログ:NHKブログ|おはよう日本...の
『おはようコラム 「肝炎訴訟和解合意 今後の課題」』から引用すると、
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/
飯野奈津子解説委員は、

“Q1 原告たちにとって、国との和解は大きな成果ですが、肝炎問題の全面解決に向けた土台ができた段階という言い方もしていますね。”

に対して


“A1 今月11日に薬害肝炎訴訟の患者などに給付金を払って救済する法律が成立しましたが、これでは、救済されない人たちが数多く残るからです。”

と仰っています。
これが、まさに一律救済対象から外された350万人です。

彼女は続けます。


“投与を証明できない人は対象になりませんし、先天性の病気の人も対象外。ほかの原因で感染した人たちも救済されません。ですから、原告たちは、今回の基本合意を土台に、そうした人たちへの更なる肝炎対策を、国に求めていくことにしているんです。”


と。


“そして、今厚生労働省と自治体とが一丸となって進めていっているはずの必要な検査や治療が受けられるような体制が、ほとんどの都道府県では未だに整えられていないことです。”

とおっしゃっています。
何故か?
自治体が費用の半分を負担することを拒んでいるからです。
何故拒むのでしょう。
地元の働き盛りの人々がドンドン発病していくのを、むざむざ見過ごそうというのでしょうか。その頃にはもう自分は退任しているから?
将来もっと大きな負担、つまり肝硬変、肝がん患者を減らす唯一の道であるにも関わらず…。

また、こうも続けられています。

“また今年4月からインターフェロンという薬を使った治療費の助成も始めますが、病状が進行して肝硬変や肝臓がんになった人などは対象外です。”

と。えっ?
なぜ?医原病の被害者で、より病状の悪化した人を切り捨てるのは何故?
それは単に医療費の負担増を減らしたいからなのでしょうか?
国のやっていることは分からないことだらけです。


そして、ここで述べられていなかった大きな問題が二つあります。

一つ目は、C型肝炎罹患者への差別です。
何度もブログに書き続けてきましたが、これは明らかな現実です。
「あの子のお母さんはC型肝炎なのだから遊びに行ってはいけません。」
というものからはじまり、
「C型肝炎を理由に、校庭でころんでも治療をこばまれた。」
「小学校入学時に児童がC型肝炎に罹患していることを告げると、担当の教諭から『では、学校で怪我をした際、自分で治療ができますか。』と問われた。」
など、子供を対象にしてさえこの有様です。
これが差別でなくで何でしょう。
こういうことをなくすべく、情報を発信し続けるべきは雑誌であり、新聞であり、TVであり、ラジオであり、インターネットであるべきではありませんか。
あらゆるメディアの方へのお願いです。
そして国会議員、有識者の方々こそ、声を大にしていただきたいのです。


二つ目は、インターフェロンがC型肝炎の特効薬では必ずしもないことです。
私はC型肝炎セロタイプ1型です。
もっともインターフェロンの効かないタイプと言われました。
そして、現在精神科に罹っています。不眠も貧血の既応症もあります。
よって、インターフェロン投与は断念せざるを得ないと言われました。
なぜか。
インターフェロンの副作用と一致するからです。
その場合、鬱症状が極端に酷くなる場合が多く、C型肝炎は治癒せずインターフェロン投与を中止しても精神病症状は残るケースが多いのです。
多くのインターフェロン投与者の中で精神病院に入ったまま出てこれない方がおられ、自殺者がおられることもまた事実です。
そして、インターフェロンにもリバウンドのある方がおられます。インターフェロンを投与しても投与しても、ウィルスとの追っかけっこなのだと。
こういったインターフェロンの副作用についてはあまり言及されないのは何故でしょう。
ある意味、西洋医学には副作用はつきもの。
「生きていられりゃ良いじゃないか。」
それはそうでしょう。
でも、断じて私は精神病で心を犯されながら生きながらえるのなら、インターフェロン投与の道は選びたくありません。
インターフェロンに代わる新しい薬品の開発を望んで止みません。
どうか、インターフェロンが福音のような扱いを、しないでいただきたい。
インターフェロンがもろ刃の剣であることを、国会議員、あらゆるメディア、そして有識者の方々に知っていただきたいのです。

どうか、今の現実を正確に報道していただき、理解していただき、B型C型肝炎罹患者を救う道を、選択していただきますよう、よろしくお願いいたします。



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2008年1月16日 (水)

C型肝炎に罹患するということ -その25

350万人が救済される道を作ってください!
なぜなら、私たちは医原病の被害者なんです!

肝臓のなかまたち (第二世代)
http://kanzo.blog74.fc2.com/blog-entry-373.html#more
から引用させていただくと、
薬害肝炎被害者救済法が成立し、15日にも薬害肝炎訴訟原告団は政府と基本合意書を調印します。
 今臨時国会で私たち患者は、薬害肝炎被害者救済法と肝炎患者の療養を支援する「肝炎対策基本法案」(与党提出)と「特定肝炎対策緊急措置法案」(民主党提出)の双方が調整され、民主党案に近い形で、肝炎患者の療養を支援する法律も「救済法」ともども成立することを願っていました。
 
残念ながら、肝炎患者支援に関する法案は継続審議となり、18日開会される通常国会での早期成立をめざしてがんばらなければなりません。

これをもっと簡単に説明すると、350万人ともいわれるB型C型肝炎罹患者の大よそすべては、カルテや証明書、または医師の証言が得られないため、B型C型の症状が発現しているにもかかわらず、首相がそしてメディアが何度も声高らかに唱えた「一律救済」からは外されているのです。
それはあたかも、故意に蚊帳の外に置かされている感が否めません。
なぜかって?
350万人にかかる費用を100万と見積もって、総額はなんと3兆5千億円にもなるからです。
そんな財源は一体どこにあるのでしょうか。
政府予算からすると、するっと出る金額なのでしょうか。
そして気にかかることは、まだまだ山積しているはずです。
医原病はB型C型肝炎だけではありません。

水俣病があり、薬害のサリドマイドがあり、スモンがありHIVがります。
それを皆救う義務が国にはあるのです。
その財源をどこをどう削って、国民を助けてくれるのでしょうか。

国民は今強くならねばと思います。
インターネットの力は侮れません。
一人でも多くの賛同者を募りたいと存じます。
そして、一人でも多くの国会議員にこの思いを届けたいのです。

どうか、この切なる気持ちを感じてください。
国会議員、有識者、マスメディアの方々の中にも、そして周辺の方にも、すでにC型肝炎が判明した方がおられるのは確実と思われます。
他人ごとではないのです。
国全体の危機と認識して間違いないと私は思っています。

何卒、間違いのない選択をよろしくお願いいたします。

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C型肝炎に罹患するということ -その24

今、C型肝炎罹患者のすべきこと

肝臓のなかまたち (第二世代)
http://kanzo.blog74.fc2.com/blog-entry-373.html#more
から引用させていただくと、
薬害肝炎被害者救済法が成立し、15日にも薬害肝炎訴訟原告団は政府と基本合意書を調印します。
 今臨時国会で私たち患者は、薬害肝炎被害者救済法と肝炎患者の療養を支援する「肝炎対策基本法案」(与党提出)と「特定肝炎対策緊急措置法案」(民主党提出)の双方が調整され、民主党案に近い形で、肝炎患者の療養を支援する法律も「救済法」ともども成立することを願っていました。

 残念ながら、肝炎患者支援に関する法案は継続審議となり、18日開会される通常国会での早期成立をめざしてがんばらなければなりません
 日肝協の在京役員会では、インターフェロン治療への医療費助成を含む予算審議とあわせて、関連法案として「肝炎対策基本法案・特定肝炎対策緊急措置法案」の成立をめざして、薬害肝炎訴訟原告・弁護団、各政党会派へ働きかける準備を始めることを話し合いました。
 「ウイルス肝炎総合対策の推進を求める全国連絡会」の構成メンバーにも呼びかけ、連絡会としての行動も検討してもらうように働きかけることも話し合われました。

今、私にできることは何でしょうか。
どうか、このブログを読んでくださっている皆さん。
カルテや、証拠文献、担当医の証言がなくても、B型C型肝炎罹患者は医原病の被害者なんです。
そのことをどうか、理解していだきたい。
経済的なことよりもまずは、医原病の被害者であるという現実を認識していただきたい。
それは私たちへの差別をなくすことになるのです。
入社前の健康診断でC型肝炎が見つかったという事実を持って、入社合格を取り消された例、C型肝炎の鬱症状のために退職を余儀なくされた例などなど。
多くの差別が実際に存在するのです。
そして、私たちに重くのしかかるのはインターフェロンだけではないことも理解してほしいのです。

初期段階の私は、鉄分を一切摂らなくなりました。
牛肉に豚肉も卵も小豆もなにもかも。
もちろん、お酒は持ってのほかと言われました。
食事を制限することに、非常な努力を要することは簡単にご理解いただけることだと存じます。
それを生涯続けなければなりません。
では、なぜそれができるのか。肝硬変、肝がんに進むよりはましだと思っているからです。
私の場合現在、すでに精神科に罹っている以上、インターフェロンの投与は断念していますが、インターフェロン投与中、または投与後にでさえ、欝病に悩んでおられる方がいかに多いか、そしてそれが生活破綻につながる恐怖。
どうかそのことも理解していただきたい。
切に、願っております。
350万人といえば、国会議員、あらゆるメディア、有識者の中にも、周辺にもすでにおられるレベルです。
他人ごとでは、もうすまされないのです。
そのことをどうかご理解いただき、間違いのない選択をよろしくお願いいたします。

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2008年1月15日 (火)

C型肝炎に罹患するということ -その23

いくらなんでも耐えれへん頭痛というもんがあって、「痛い、痛い!」と叫ぶから「熱でも測ったろ。」
びっくりしゃっくり、何と39度もある。
時計を見れば午前四時。
しゃあない、救急に行こ。
東邦大学医療センターに電話をすると、「では、いらしてください。」
結局はインフルエンザであった。

都合四日間ずーっと寝ている。
ほんまに病気になったら、まるで阿呆やね。
本を読もうにも本を持つ力がないし、文字を追うこともできない。
てっちゃん(居候の甥)が借りてきてくれるコナンのDVD。
「相棒は何べん聞いたことか。」と隣の部屋で言うけれど、私は初めのテーマ曲あたりと「●●殺人事件!」ぐらいが限度。

つくづく病気にはなりたくないもんだ。


インフルエンザでなかったら、平常通り、仕事に地唄舞に合気道に。
やれる私は幸福です。
C型肝炎セロタイプ1型で、症状が発現しているといっても初期段階。
消化器内科の先生と、精神科の先生からの処方薬と、自助努力と。
本当は、これで良いのかもしれない。
そういう自分の心も真実。
そして、やはり医原病であるB型C型肝炎罹患者の一律救済を求めたいと、切に願っている自分の心も真実。

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C型肝炎に罹患するということ -その22

薬害訴訟を起こすということが、どうやら変わってきそうな気配がする。

もちろん、私の場合入院した際のカルテもなければ医師も見つからない。
あるのは左手首と右大腿筋にある傷だけ。

それでも、今日希望のもてる記事をasahi.comで見つけた。
『九州原告団、基本合意書の締結承認 薬害肝炎』
http://www.asahi.com/national/update/0112/TKY200801120239.html
一部引用させていただくと、
製剤投与の認定の仕方を巡っては、感染者が給付金を受け取るには投与を裏付ける資料が必要になるため、原告側は医療記録(カルテ)がなくても、母子手帳や医師による投薬証明などを証拠とすべきだと主張していた。国側も協議を経て、これに応じたという。
     :
     :

 総会後に会見した弁護団の浦田秀徳弁護士は「原告の力で、これまでにない高い水準での解決ができた」と基本合意書を評価した。全国原告団代表の山口美智子さん(51)=福岡市=は「巨大な国を動かしたのだと実感した。今後もすべての患者救済に向けて戦っていきたい」と話した。

感激的とも思えるこの結果。
残念ながら母子手帳はあるはずもなく、そして医師の投薬証明?
それはなかったように思う。
覚えているのは、右足に刺したドリルの気味悪さと、左手舟状骨をノミでコンコンする音。
整形外科の手術って、何ともはや大工さん並やなぁ。そう思っただけ。


そして、次に発見した記事。
同じくasahi.comから「法廷でのプレゼン能力磨け 米国の弁護士らが実技指導」
http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY200801120244.html
少し引用させていただくと、
法律の素人中心の裁判員にどう訴えるかが重要になる裁判員制度。導入される09年春が近づき、裁判官も検察官も弁護士も、話し方や説明能力を磨く訓練を始めた。

  :
  :
プロの裁判官を相手にする現行とは違い、裁判員にどう訴えるか。国内では法廷弁護技術の教え方が確立されていないため、陪審員制度の歴史が長い米国の全米公判弁護協会から弁護士や裁判官ら4人を招き、全国から弁護士が参加した。

 受講生たちを戸惑わせたのが「~をしましたか」「~を見ましたか」という質問への「禁止令」だった。「こういう質問からはイエスかノーしか引き出せない。その代わり『説明してみてください』『教えてください』を使ってください」とケリー弁護士。肯定・否定で事実関係を詰めるやり方に慣れている参加者のなかには、立ち往生する人もいた。

裁判制度が変わる。
その事実は大きい。
変わらないのはB型C型肝炎が医原病であること。
確かに、私のようにインターフェロン投与を受けられない患者であったとしても、れっきとした医原病被害者なんだ。
「B型C型肝炎罹患者は皆平等に医原病である。」
そのことが社会的に公知されたとき、法律の素人中心の裁判員は、どう判断するのだろうか。
私たちの役割は本当に重要だと思う。
少しでも多くの方に、B型C型肝炎は医原病なんですよ。と。
そう言い続けることが。

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2008年1月14日 (月)

C型肝炎に罹患するということ -その21

C型肝炎罹患者が350万人いるといわれている今日、福田首相が仰った一律救済の意味を改めて考えてみたい。
訴訟を起こした原告を一律救済するのだとしたら、それはあまりに狭義ではないか。

B型C型肝炎罹患の罹患者はすべて医原病による被害者であるとするなら、本来の「一律救済」の意味はそこにあるようにおもう。

ただ、ただである。350万人がすべてインターフェロンの投与を受けることができるとは限らないし、インターフェロンを投与しても効果がない罹患者もいる。
C型肝炎を告知されて以来、すでに精神科にお世話になっている私なんて、「貴女は絶対にインターフェロンは無理です!」と専門医から断言されているほど。
350万人の一人として、これから訴えていきたいことは、決して訴訟額でないのである。

まず、第一は
「B型C型肝炎罹患者は医原病の被害者。」
これが社会的に公知されること。

第二は、
公知されることによって、現実に起こっている差別を取り払う法律的な措置が取られること。

第三は、
もちろんインターフェロンの投与についての助成もあるが、それ以外、具体的が例を挙げると、
インターフェロン投与を断念した私に処方されている「ウルソ」は、何と!フィブリノゲン納入元(三菱フェルファーマ)と同じなのである。

「ええ加減にせぇよ!」
インターフェロンに比べれば高が「ウルソ」されど「ウルソ」
処方していただかないといけない薬。

それくらい、無料で配布する心意気っちゅうもんがあってもよさそうのもんと違いまっか。

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2008年1月13日 (日)

C型肝炎に罹患するということ -その20

asahi.com『内閣支持低迷34% 年金なお厳しい評価 本社世論調査』
から引用すると、
http://www.asahi.com/politics/update/0112/TKY200801120224.html

福田首相が種々様々な問題を抱える中、やはり私が気になるのは薬害C型肝炎訴訟である。

薬害C型肝炎訴訟をめぐって、福田首相が12月末、議員立法によって原告が求める全員一律救済を実現する方針を示し、これに沿った法律が成立したが、こうした福田首相の対応を「評価する」は71%だった。ただ、「評価する」と答えた人のうち、内閣を支持する人は40%にとどまり、不支持が41%。首相の決断が必ずしも支持率回復の大きな要因にはなっていない。

国民はバカではないと思うのだ。
全員一律救済を本来の意味で実現させるということは、国の財政を抜本的に見直さなければならない。
なにせ、B型C型肝炎罹患者は350万人にも達するのだから。
コテ先だけの法律。
確かに原告団は勝訴した。
それを歓迎する上での評価が71%だったのではないだろうか。
そして、ほぼ350万人のほとんどが線引きされて蚊帳の外に置かれたことが、内閣を支持する人が40%にとどまったことと、あながち関係ないとはいえない。
そう思うのは私だけだろうか。

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2008年1月12日 (土)

C型肝炎に罹患するということ -その19

YOMIURI ONLINEには『薬害肝炎訴訟、医師の記憶でも証拠に…国と原告が合意』と題する記事。
引用すると
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080112i501.htm

…薬害C型肝炎集団訴訟で、国と原告側弁護団は11日、和解の基本合意の具体的な運用方針について協議し、今後、新たに提訴する人の投与事実の立証について、医師の記憶に基づく投薬証明でも、医師の証言が信用できると判断されれば、証拠として認めることなどで合意。血液製剤の投与と輸血を併用している患者についても、投与事実の証明があれば幅広く認める方向も確認した。…

手術をしたのは33年も前のこと。
医師の記憶があるやなあしや。
ただ、特殊な手術ではあったから可能性が皆無とも思えない。
なぜなら、ごく最近手指の感覚がちょっとおかしくなった時期があり、近隣の、専門医を置く大学病院で診察を受けた時の、医師の反応がとても興味深かったから。
「今どきこんな手術はしませんよ。右大腿筋膜を切除して、左手首舟状骨と隣の骨の間に入れて偽関節にするなんて…。」
そして続けて仰ったのは、「是非、是非CTを撮ってみましょう。僕が自信を持って治してあげますから。任せてください!」
そう仰ったのだけれど、心配なのは私。
手首に造影剤を入れると仰った。
えっ!
そして、今だってそれなにり動いているわけなんだし、ただ偶に「ポクポク」感があったり、血管痛がするのが気になっていただけ。

最終的には、地元の整形外科の先生のこの言葉でCT検査から始まる以降の手術をお断りした。
「今、動いているんだから。動かなくなってからでも遅くはないじゃないですか。」
「身体にはできるだけメスは入れないのが良いと僕は思いますよ。」であった。

それはいみじくも、21歳の時左手首舟状骨の大腿筋膜による偽関節手術をしていただいた先生が仰った言葉でもあった。
『将来、君に何があろうとも、身体にメスを入れないにこしたことはない。これだけは覚えておきなさい。』
先生のお名前さえ忘れてしまった私だけれど、この言葉は生涯忘れることはないだろう。
そして、将に私は貴方を探しております。
手術時の状況を知りたいのです。
フィブリノゲンをお使いになったかを。

でも、本当はあんまり期待しておりません。
それよりも、21歳の時に「もしかしたら親指は生涯動かなくなるかもしれませんよ。」と言われて、恐怖におののきながら受けた手術。
それが今、33年経って合気道は初段になりました。地唄舞もちゃんとお稽古をできています。もちろん、仕事で使うパソコンの操作になんら障害がないのです。
このことを考えたとき、本当に感謝すべきは執刀していただいた整形外科の先生なのです。
本当にありがとうございました。
残っている薬害訴訟の原告になれるかなれないかの問題。
そして、インターフェロンの投与のできない体質の問題。
現状に感謝の気持ちがあり、そして医原病であることの悔しさがある。

複雑な心境でながめた今日の新聞であった。

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2008年1月11日 (金)

C型肝炎に罹患するということ -その18

asahi.comの見出しが物語る差別「肝炎法成立 原告、拍手・涙・笑顔 B型患者は置き去り」に憤りを感じざるを得ない。
なぜ同じ医原病である人々が置き去りにされるのか。
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY200801110176.html
待ち望んだ薬害C型肝炎感染被害者の救済法が成立した。原告らは11日、「反対ゼロ」の採決に、手を握り合って涙と笑顔を見せた
ほとんど不可能に近かった救済法が成立したのだ。
それに大きく貢献された弁護団の方や原告の方々の苦労が実ったのだからその喜び様に安堵を感じたのは私だけではないだろう。

全国原告団代表の山口美智子さん(51)は「これまでの5年間の苦しみも全部吹き飛んでしまいました。代表としての自分の役目、大義を果たせ、一安心です」と声を詰まらせた。今後の活動については「この法律が一般肝炎対策につながっていくのを見極めるまで闘っていくつもりです」と話した。
山口美智子さんが表明された今後の活動こそ、私たち350万人ともいわれるB型C型肝炎罹患者にとって、大切なフレーズ。
でも…。
それにしてもひっかかるのが「一般肝炎対策」という言葉。
一般肝炎罹患者とは、医原病であるB型C型肝炎罹患者のことですよね。
なぜ、そう発言されなかったのでしょう。
とはいえ、「私たち350万人も医原病であるのだ」ということを訴えてくださるのだと理解したい。

「肝炎患者全体にとっては一歩前進で歓迎すべき。しかし、B型肝炎の私たちには何も対策が講じられていない」。木村伸一さん(43)=札幌市=は、救済法が成立した11日午前、国会議員らへの陳情活動を続けていた。

B型肝炎罹患者である、木村伸一さんのやるせなさはどうだろう。
なぜ?
医原病であることには違いがないのになぜ?
木村伸一さんを動かしているのは『願い』を通り越して、将に『怒り』ではないだろうか。
私の胸に、彼の苦悩をあらわにした表情が貼りついている。
そして、戻ってくるのは自分のこと。

全国原告団が勝ち取った救済は、350万人からすればほんの一握り。
たくさんの人が置き去りにされた事実は事実として、敢えてこの勝ち取った救済を評価したい。
それは、350万人全員一律救済の第一歩なのだから。

「B型C型肝炎は医原病であり、どんな状況下にあろうとも、それに罹患した者は被害者です。」
このことを、国会議員、有識者、あらゆるメディア、そして一人でも多くの国民に知っていただきたい。
今日ほど、それを思い知った日はない。
氷山の一角が救済されたが故の憤りである。
B型肝炎患者の皆さん、そして原告になれなかったC型肝炎の私たち。
頑張ろうではありませんか。

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C型肝炎に罹患するということ -その17

今日も仕事の合間にインターネットで検索する。
いずれも昨年の夏頃で、
東レ株式会社の下記ニュースリリースによると
http://www.toray.co.jp/news/rd/nr070822.html
東レ株式会社(本社:東京都中央区、社長:榊原 定征、以下「東レ」)はこのたび、国立感染症研究所(東京都新宿区、以下「感染研」)、財団法人東京都医学研究機構 東京都神経科学総合研究所(東京都府中市、以下「都神経研」)と共同で進めてきたC型肝炎ウイルス(HCV)ワクチンの共同研究においてHCV培養システムを開発し、本システムにより作製し不活性化したHCV粒子が、HCVワクチンとして利用できる可能性を有することを、マウスを用いた実験にて世界で初めて確認しました。
とあり、また
HCVワクチンは、新規感染を減少させる新たな予防薬という可能性にとどまらず、HCV感染者の治療薬としての応用も考えられます。HCVワクチンはC型肝炎で苦しんでいる世界中の何百万の患者さんに大きな福音をもたらすことができると期待しています。
とも。

そして、もう一件。
IBtimesの「京大などの研究グループ、C型肝炎ウイルスの増殖メカニズムを解明」によると、
http://jp.ibtimes.com/article/biznews/070827/11408.html
今回の研究により、感染性ウイルスの産生を阻止する働きを持つ抗HCV剤の開発などに繋がることが期待される。
とあり、最後に
肝臓の疾患の病態の進展を抑制することや抗HCV剤が開発され、HCVによる肝疾患予防に繋がることが期待される。
とある。

記載されているほとんどがチンプンカンプン。
それは当然と言えば当然のこと。
でも、どちらにも記載されている次の言葉を見逃さなかった。

…HCV感染者の治療薬としての応用も考えられます。

…肝臓の疾患の病態の進展を抑制することが期待されます。

私の寿命がこれらの研究成果に届くかどうか、それは神さんしか分かりませんが、どうか頑張っていただきたいものです。

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2008年1月10日 (木)

C型肝炎に罹患するということ -その16

血管腫とC型肝炎と。

2月頃、専門病院のCT検査で見つかった血管腫。
これがどうも気になって、気になって。
今日ふと思い立って、Google検索欄に「C型肝炎ウィルス」と入れてみた。

『C型肝炎についての個人的見解- 患者としての体験と治療指針 -』
 http://www.mcp.brs.nihon-u.ac.jp/kikeda/typecvirusinfect.html
から引用させていただくと、
血液中に入ったウイルスは、肝臓では細胞と直接触れて感染する事ができることになる。 現に血液の流れている周辺からウイルスは侵していく事が知られており、血管腫(血管の周辺の細胞が変化してしまったところ)がCTの検査で見られる場合がある。

やっぱり。
やっぱりC型肝炎である一つの証?

また社団法人鳥取医師会の
『Ⅰ 健康セミナー2 健康診断でみつかる肝臓病とその対策 』
http://www.tottori.med.or.jp/dd.aspx?itemid=1128&efromid=0
から引用させていただくと
血管腫であれば、症状は全くありませんし、血液の検査をしても正常です。しかし血管腫だと言われて、そのままで良いかというとそうではありません。血管腫だと思ってずっと診てきたけれどがんだったということもありますので、あくまでもきちんと診断をしておくことが大切です。小さいときは、半年か1年に一度は大きさを計ってもらったほうがいいと思います。

「がん」という字が見える。
ひらがなで書かれていて、ともすると他のひらがな文字に埋没してしまいそうな「がん」。

昨年3月に受けた超音波検査。
そしてまた、2月に受ける。
大きくなっている場合は癌を疑うと仰った専門医の言葉を、私は忘れていない。

良性の血管腫が悪性に転じたときは、癌と慢性肝炎(C型肝炎の症状が発現している)に罹患していることになる。

その怖さ。
経済的破綻がチラリと頭をよぎる。
生命保険や癌保険がないわけではない。
でも、私の恐れている経済的破綻とはそういうことではない。
自営業にとって、仕事ができなくなることは即無収入につながる。

そしてやはり戻ってくるのは、医原病であるにもかかわらず「一律救済」の対象とならなかった350万人ともいわれるC型肝炎罹患者のこと。
路頭に迷うだろう姿は私だけではないはず。
将来、この350万人がそうなることを考えたとき、今救わなければ起こるだろう国家の重大な危機が、みすみす見逃されたことになるのではないのか。

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C型肝炎に罹患するということ -その15

今日朝から永田町近辺に打ち合わせに行ってきた。
最近、私たちのプレゼンはPCから、印刷したカラーのA3用紙を用いていた。
今日も大きな鞄をたずさえ、A3用紙を両手で掲げ、紆余曲折はあったにせよ無事打ち合わせを終えた。
そして、クライアントのドンの発した言葉は一言。
「そのA3用紙は持って帰ってくれたまえ。CO2削減でね。」と。

そうなんや。
私のカルテも紙だった。
33年前に電子カルテがあろうはずもない。
神戸労災病院は、33年間に三回建て直しをしている。
もちろん、阪神淡路大震災でも被災している。
そう、紙ではダメなんだ。
そう思ったとき、フッと浮かんだのが私のC型肝炎ウィルスである。
その感染源をウィルスから辿ることはできないのかと。

最近肝生検をすることなしに、慢性肝炎のどの段階に罹患者がいるのかを確認する方法が確立されつつあると、小耳にはさんだ。

C型肝炎にまつわる種々の法案がいま成立しつつある。
それには研究開発のための助成金もあるだろう。
どうか、是非、ウィルスの感染源をたどることができるようにしていただきたい。
カルテや当時の主治医、そして何らかの証明書よりも、何よりもはっきりした証明は、実はウィルスの感染源なのだから。

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C型肝炎に罹患するということ -その14

とうとう肝炎救済法案が11日に成立することが濃厚になってきた。
大きなワンステップと誰もかれもが声高に表明する。
それが間違っていない分、私の中で楔が打たれる。
肝炎救済法案に関して福田首相は何度も「一律救済」を口にされた。
否それよりも、インターネットで、新聞で、そしてTVで、何度もその「一律救済」という文字が前面に押し出されたことは、私たちにとってこれほどの不幸はない。
つまり、投薬証明のカルテや記録がないなど多くの対象外となったB型C型肝炎罹患者にとって。
何故かって?
「肝炎救済法案」のいうところの「一律救済」が、本来の一律救済ではないからである。
B型C型肝炎が医原病であるのなら、なぜ全員が一律救済されないのか。
この法案が成立したからといって、「はい。一丁あがりっ!」。
これだけは願い下げだ。

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2008年1月 8日 (火)

C型肝炎に罹患するということ -その13

肝炎救済法案が衆議院で承認された。
恐らく参議院でも承認されるだろう。

薬害型肝炎訴訟の原告として今まで頑張ってこられた方の貢献度は計り知れない。
川田龍平氏の行動力の素晴らしさも評価したい。
原告の方々がそれぞれに応じた給付金を受け取られることも当然、妥当だと思ってもいる。

私がブログで訴えていることは、前者の方々を否定するものでは断じてない。
asahi.com「肝炎救済法案、衆院を通過」によると、
薬害C型肝炎被害者を一律救済する特別措置法案が8日午後、衆院本会議で全会一致で可決された。同日午前の衆院厚生労働委員会の審議では、薬害訴訟の原告や肝炎患者団体代表らが参考人として意見を述べた。
救済対象となる薬害C型肝炎訴訟全国原告団の山口美智子代表は「国の責任を認め、投与時期を問わず一律救済することは評価する」と述べたうえで、「肝炎患者が安心して治療を受けられる体制づくり、薬害の真相究明などが実現するまで監視する」と話した。

この文章のどこにも、「取り残された350万人ともいわれるBC型肝炎罹患者」の話はでてきていない。
なぜなのか。
全国弁護団の山口美智子代表を責めるなどもってのほかである。
しかしながら、全国弁護団に私はメールを投げた。
原告になり得ない(カルテという免罪符を持たない)BC型肝炎罹患者を見捨てるのですかと。
一弁護士である方はメールでこう答えている。
「一個人としては救済される方向が良いと思っています。」と。
「しかしながらそれは全国弁護団の総意ではないのです。」とも。
その答えは私に大きな失意をもたらすとともに、道を分かつ必要を感じさせた。

一方、血友病など先天性疾患の患者の多くは、原告団と同じ血液製剤で肝炎に感染したが、「治療として有用だった」として法案の救済対象から外れた。そうした患者を代表し、京都ヘモフィリア友の会の佐野竜介会長は「同じように感染し、苦しんできた私たちにとって法案は受け入れがたい」と不満を表明した。
また、集団予防接種でB型肝炎に感染し、最高裁で国に勝訴した訴訟の原告だった木村伸一さん(43)は「国からはいまだに原告への謝罪もない。薬害以外の肝炎患者全体を救済してほしい」と述べた。日本肝臓病患者団体協議会の高畠譲二事務局長も肝炎患者全体の支援策拡充を求め、「B型肝炎の治療薬も医療費助成の対象にしてほしい」と話した。
こうした意見を踏まえ、委員会では「先天性傷病の感染者への必要な措置を早急に検討する」などとした付帯決議も採択された。


京都ヘモフィリア友の会の佐野竜介会長、そして木村伸一さんへ。
私も同席しとうございました。
置き去りにされたBC型肝炎罹患者について、一行たりとも記載のないことが、社会的に公知されていない私たちの存在を浮き彫りにしています。
BC型肝炎を医原病と認めたのなら、BC型肝炎罹患者すべてが被害者のはずです。
それが、あらゆるメディアの方、国会議員、有識者の方々、いずれの方もすでにそれはご存じのように思うのは私だけでしょうか。
それなのに、蚊帳の外に置こうとする。
たかが1ページの記事と侮らないでいただきたいのです。
350万人といえば、メディアの方、国会議員、有識者。
皆さんの周りにも、お友達、知人、先輩、後輩、親族におられるレベルです。
どうか、そのことを軽んじないでいただきたい。
まずは、BC型罹患者はすべて医原病の被害者であること。
これが社会的に公知されることが先決だと。
そう思われませんか。

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C型肝炎に罹患するということ -その12

asahi.comでは「薬害肝炎法案、週内にも成立 原告「全面解決へ土台」」とある。
そして、やはり気になるのが原告になれなかった私たちのこと。

文中を引用すると、
法案をめぐり、民主党内には救済の対象外となる患者らが多数残ることへの懸念も根強い。このため、国会の場で患者らの意見を聴き、付帯決議などの形でさらに救済をめざす考えを明示すべきだと要求していた。これに対して与党側が7日、患者らの参考人質疑を受け入れ、全会一致で成立する運びが固まった。採決の段階で、対象外となった患者らにも救済範囲を広げるよう国に求める付帯決議を行う。
とある。

「国会の場で患者らの意見を聴き」とあるが、氏名を公表しているBC型肝炎患者がどれだけいると思っているのだろう。
一昨日、友達でもある弁護士からその実態を知らされた。「本当にわずかです。」と。
国会という公の場でどう意見を聴かれるのか。
鬱の気があり、精神科にもお世話になっている私が、その対象になった場合、精神科の担当医や相棒(主人)がそれを許すだろうか。
自分が国会の場に立ってものを言えるだろうか。
多分、大きく気持ちを揺さぶられることは間違いない。
インターフェロンを投与する際の副作用が鬱。
では、鬱症状の出たその人たちが国会の場に立てるのだろうか。
先日私のブログに書き込みをしてくださった方は、インターフェロンの治療終了も、いまだ鬱と縁が切れていない。
そして、C型肝炎が原因となって、家庭生活が瓦解した方々や、C型肝炎が判明したことで会社への採用が取り消されたり、会社内で左遷されてしまったりした様子を語れというのか。
国が「医原病」であることを認めてさえ、なぜそのような、何も知らない人がTVをフッと見たとき、まるで罪人のようにも見えてしまう「患者らの参考人質疑」とは、余りに無神経過ぎないか。
あながちC型肝炎罹患者の思い込みとはいえない。
それって、ちょっと違わない?
C型肝炎罹患者は、医原病に罹患した被害者です。
被害者らしく扱われてしかるべきではないのですか。

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C型肝炎に罹患するということ -その11

C型肝炎の症状が発現したからといっても、私の場合は初期段階。
自分の人生だけれども、自分のためだけに生きて良いものではない。
そう思って、書き始めたのが「C型肝炎に罹患するということ」というタイトルのブログである。
そして、お仲間からいただいたコメントに触発されて、国会議員や有識者、雑誌社や新聞社へと、メールを送り始めたのは一週間前。
今日お昼過ぎだっただろうか。
相棒は徹夜明けでまだ寝床にいた。
私は、込み入った仕事の電話をしていた。
ピンポーン!
(エェ~イ、こんな時に!)
「申し訳ございません。来客のようですので、しばらくお待ちください。」
電話口でそう断って、インターホンに出てビックリ。
「衆議院議員●●の秘書でございます。」であった。
だけど…。
仕事の電話が最優先するのは仕方のないこと。
口を突いてでた言葉は「今、仕事の電話中なのです。」であった。
「また、出直してまいります。ポストに名刺を入れさせていただきます。」
そしておおよそ30分後、仕事の電話を置いてポストに走った。
何故かって?
「アポイントもしないで来るんじゃないよ。」
そう、言いたかったからだ。
すぐに、名刺に掲載されている電話番号を押したのはいうまでもない。
多分、お見えになった秘書さんが事務所に帰りついていないことを見越して、電話口に出られた方に説明をさせていただいた。

件の衆議院議員はここを支持基盤にしておられる方。
にしても、その対応の早さに驚きつつも反響のあったことの歓びは大きい。
まずはそれが第一歩。
sinさんに肩を押されて始めた、メールの発信。
それは私と相棒との共同作業であった。

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2008年1月 6日 (日)

C型肝炎治療に降りかかる副作用について

C型肝炎が医原病であることは置いておいて。
その治療法はやはり西洋医療でなされる。
重篤な病を治療するということは、必ず副作用が伴う。
西洋医療ばかりではないかもしれないが。
「死ぬよりましなんや。」
そういう声に、思わず反論してしまう私。
C型肝炎の治療である、インターフェロン投与をする過程で鬱症状が出ることは広く知られている。
不眠や貧血症状も同様に。
専門医から言われた言葉は、私の中で今でもこだましている。
「千人ほどのうちの三名ほどは精神病院に入られて帰ってこられないのですよ。他にもいろいろ…。」
それはつまり、じ・さ・つ。

自分の命を自分で絶つことの是非は分かれるだろう。
でも…。
「精神を病んで生きていくことは、人間として生きていることにはならないよ。自殺は許されるよ。」
私は譲らなかった。次の言葉を聞くまでは。
「残された者はどうなるんや。その悲しみ、苦しみ、悔しさは。」

今、C型肝炎に罹患していることを告知されてから、数ヶ月後に判明した躁病が、どうか小康を保ってくれることを切に、切に願う。
自分の人生は、家族の人生でもあるのだから。

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2008年1月 5日 (土)

舞初め

雪谷文化センターの和室が、空いていたからラッキー!
舞初めができるやんか。
昨日までとは打って変わった寒さにもめげず、またもや着物で自転車に乗る。
たった三人でやる練習で、午後6時から10時まではいかにも長い。
今日は到着したのが6時過ぎ。
甥のてっちゃんは「どうしても着物で自転車に乗るのはイヤヤ。」というから、雪谷文化センターの和室で着替え始める。
やっぱり今日も「高砂」から。

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でも…。
毎日練習していた頃の私とも思えないポトリ、ポトリと扇を落とす様に、ガックシ肩を落とせば、「いん~や、扇を落とすのは前からや。」という相棒の言葉。
私を励ましているつもりなのだろうか。

今度はのっけから振りを忘れて「そんな~」。
呆然となっていたら、また相棒から声が掛る。
「確かに。練習を欠かさなかった頃には、こういうことはなかったな。」

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三が日が明けて間もなく借りれた和室。
めげずに頑張ってみよう。
そう、自分に言い聞かせて「松づくし」、「京の四季」、「御所のお庭」、「香に迷う」そして習い始めの「鶴亀」を少し。

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下手な舞でも好きな舞。
あれもこれもを忘れられる一時を相棒と、てっちゃんとで過ごせる幸せ。
白い息を吐きながら帰路に着いた。

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ウィルス性肝炎患者の救済-菅代表代行会見

民主党ホームページの下記ニュースには、確かに『およそ350万人とも言われるウィルス性肝炎患者の救済が大目標』という文字があった。
そして菅代表代行はこうも続けていた。
『これらの患者への治療費助成も同時に実現させたい』と。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=12461

私のようなC型肝炎罹患者のこと、つまり「350万人とも言われるウィルス性肝炎患者」のことがやっと会見で口にされるに至ったのは、自民党の支持率の低さも一因だったと推測されるが、やはり多くの方の多大な働きかけがあったことが大きいのだろう。

私個人としては、確かに治療費を助成していただけることは有難い。
でもそれよりも、「350万人とも言われるウィルス性肝炎患者」について、先ず口火を切った民主党の菅代表代行に続いて、他の国会議員やあらゆるメディア、そして有識者の方々にも、口にして欲しいのだ。

先日、義父に年賀の挨拶を電話で交わした際、「洋子さんも一律救済が受けられて、ヤレヤレやなぁ。」と言われた。
そう、国民の多くは「C型肝炎罹患者は一律救済される。」と信じて疑わない。
カルテのないは原告にはほぼ100%なり得ないから、一律救済の対象にはなれない。
その事実を知る人は少ない。
福田首相が強調された「一律救済」という四文字のために、私たちの存在はかき消されたかに見えた。

そして、もっと知られていない事実がある。
C型肝炎罹患者でも、インターフェロン投与が完治につながらない人が多く存在する事実だ。
私は、C型肝炎でもセロタイプ1型といって、インターフェロン投与の効果があまり期待できないタイプである。
そして、インターフェロン投与の副作用として知られる、欝病、不眠、そして貧血。
そのどれをも既に持っているから、インターフェロン投与は断然せざるを得ない状況にある。

それでも将来確実にやってくるのは、肝硬変と肝がん。
父が肝がんで逝去して約30年あまり。
医学は確かに進歩した。
そしてこれからも進歩し続けるだろう。
私が肝硬変になる前に、インターフェロンに替わる医療が開発されることを切に願う。

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2008年1月 4日 (金)

C型肝炎に罹患するということ -その10

誘眠剤を服用するまで、私の一日は20時間ほどあった。
たった三人のそれも一人は甥の大学生だから、都合二人半で構成する事務所であっても、代表は代表。
実務を引き受けている相棒と甥に比べれば時間的に減ったのは当然といえば当然の話であるけれど、「継続はちから也」を証明するがごとくに、要の役を果たしてきた。
そして、血道をあげている地唄舞と合気道と。
炊事、洗濯、掃除は、ほとんど甥の役目だったから、仕事と地唄舞と合気道、この三つで私の20時間はほぼ埋め尽くされていた。
それが、ここにきてお医者様通いと10時間の睡眠。
残されている時間はたったの14時間しかない。
それが私にはどうあっても我慢がならなかった。

そして心療内科で受けた問診と診察を経て、相棒と共に受けた精神科の受診は、今思うと、椅子に座った途端から立ち上がるまで、喋りに喋っていたように思う。
「真黒になったスケジュール帳に身体が追い付けなくなってきているご様子ですね。」
そう言われてお薬を処方された。

数日後から、睡眠以外に残された時間が何時間あるのかさえ、気にならなくなった。
仕事上の時間減少は、甥と相棒がかなり負担してくれていた。
「仕事の要はわたし。」
そういう気持ちに揺らぎはなくても、40歳である相棒の強さ、働きっぷりを否定するわけにはいかなくなっていた。
甥は、文句一つ言わずに、コツコツ領収書を台紙に貼りながら、経理業務をしていた。
「助けられている。」
悔しさがなかったといえばウソになるけれど、「これが家族なんや」という嬉しさと、甥と相棒の優しさが身にしみた。

地唄舞も合気道も、ほとんど家で練習することはなくなった。
そんな時間なぞ、もはや残っていなかった。
「ポジティブに生きよう!」
それはそうでしょう。
でも今の私は違う。
私のしなければならないことは、
「C型肝炎が医原病であるにもかかわらず、私は一律救済から外されている事実」を、そして「C型肝炎に罹患したことの悲しさ苦しさ」をこうやって、ブログで訴えること。

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C型肝炎に罹患するということ -その9

お医者さん通いが増えていくにつれ、「なんだかなぁ…。」
トーンダウンしていく自分と、「やっぱり許せへんっ!」と怒る自分と、そしてフリーランスであるべき自分と。
昨年1月に告知されてからを振り返ってみれば、良い意味で肝が据わったように思う。
それは「自分の時間には限りがある」ことを改めて自覚したからに他ならない。
仕事であれ、地唄舞であれ、合気道であれ、その一瞬の大切さが身にしみたから。
「明日もあるさ」ではなくなったとも言い換えられる。

頭のネジの一本が擦り切れてキリキリ舞する私に、終いに叱りつけるようにその振る舞いを制止し始めたのは、相棒も甥も同時であった。
私は泣いた。
「何故、そんなに怒るの!」と叫びながら。
だが、正気もわずかに残っていて、「おかしいのは自分や。」と告げていた。
三人が角突き合わせたのは一瞬のことだった。
最初に私の声がトーンダウンした。
「鬱の人に『頑張れっ!』って叱咤激励したらアカンっていうやん?」
「きっと頭のネジが一本きれたんよ。バタバタ動き回らないてもたってもいられへん、躁の私に『落ち着けっ!何もするなっ!』って叱りつけんといて。」
そう、言いながら「C型肝炎になったことがストレスになって、頭が風邪ひいてるねんよ。」と、言った看護師である姪の言葉を思い出した。
真剣に、心療内科への受診を決めたのは将にこの時であった。

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C型肝炎に罹患するということ -その8

C型肝炎に罹患して一番変わったことは、食生活。
インターフェロン投与を断念したからといって、肝癌はもとより早々と肝硬変の仲間入りはしたくないから、Hirayama先生のお言葉通り、鉄分除去の食事を始めた。
もともとの性分もあるのだろうが、徹底的にやらなければ収まらない私は、インターネットとにらめっこして見つけたのが「医薬品情報21」というホームページだった。
「鉄分」に関する記述をみつけて、思わず医薬品情報21代表の古泉秀夫先生にメールをしていた。
たった1本のメールで、有益な情報をいただいた。
そして購入させていただいた先生の著書「健康食品Q&A」は、医師および看護師対象と言われていたけれども、私にもおおいに有益であった。

そして、各メーカーへの問い合わせが始まった。
何故かって?
ほとんどの食品に記載されている栄養成分表には、鉄分含有量が記載されていなかったから。
各メーカーの対応の程度はさまざまであったけれど、分かったことは「個人の力なんて、高がしれている。」であった。
いくらメーカーの方が誠意を示していただいても、食品の数は膨大である。
いちいちメールで聞くなんて…。
何故、鉄分含有量は栄養成分表にないのか。
徒労感が私を襲う。

日に日に極端になっていく私の食生活を、相棒と甥は食事のたびに話題に挙げ始めた。
Hirayama医院にお薬の処方を頂きに行って、相棒がその極端さを口にして先生からのお返事は「お豆腐ぐらいは召しあがりなさい。」であった。
やっぱり。
やっぱり、鉄分はC型肝炎の敵には違いなかった。
鶏肉は若どりのささ身か皮なし胸肉が少し。
緑色野菜は身体への吸収率が悪いから少しならOK。
小豆はさすがにお許しがでなかった。
最後に、「お茶は鉄分を流し出すからお飲みなさいね。」
そう仰っていただいても、少しも嬉しくはなかった。
小豆と卵が痛い。
和菓子のほとんどが食べられない。
洋菓子だって。
菓子パンだって。
食材を買うことに、そしてケーキ屋さんに和菓子屋さんに、まったく興味をなくした。

人間の欲は、性欲・食欲・睡眠欲があるという。
食欲のほとんどをなくして、頼んでもいないのに睡眠だけはたくさん。
「ほな、買いもん行ってくるしぃ!」と声をかけた相棒と甥に、
「理不尽や。」
そう、ぽつりと呟いて見送った。

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2008年1月 3日 (木)

C型肝炎に罹患するということ -その7

「C型肝炎になっちゃった!」とブログに掲載した時点では、そこに差別が存在するとか、C型肝炎に罹患したことが原因で家庭的な悲劇が起こっていることを、一切知らなかった。
私が社長で、相棒と甥が社員(青色申告専従者)であるから、サラリーマン社会に疎いというよりは深く静かに潜行していた感がある。
なぜなら、それを知らされたのは弁護士の友達からだったから。
「ブログで公表されるなんて偉いですねぇ。」と。
「御主人とも甥御さんとも仲良く暮らされてるなんて、素晴らしいですねぇ」と。
「C型肝炎に罹患していることが会社に知られて左遷される方が多いのですよ。」
「そしてC型肝炎の治療がもとで、離婚されるケースも多いのですよ。」と。
その言葉は私にとって、とても違和感があった。

そして精神科を受診した際にも、私の口から突いて出た言葉は、「仕事も順調で、趣味も持っていて、主人とも甥ともこんなに仲良くしているのに、何故突如として涙が出るのか、分からないのです」であった。

そもそも、甥が中学三年生までは、私たちにとって「妹(双子の片割れ)の息子」という存在でしかなかった。
阪神淡路大震災と建築業界の構造不況。
これが私の家族の運命を大きく変えた。
2月のある日。
妹から電話があった。
「てっちゃんの高校の入学金を、会社の経費に使こてしもて…」
高校の入学金を出した時から彼との関係は変わった。
高校の入学が決まった子供達が遊びに呆けている間、甥は東京に来て3Dのレンダリングを勉強させられていた。
それ以降、休みのたびにイラストレーションを勉強させられ、遂には仕事を手伝うまでになった。
そして、病弱の妹の面倒をみることを条件に、甥は東京の工業大学にいきながら、家事をやり仕事をしている。
つまり、家族の一員となった。

私たちの双肩には、甥の大学生活、そして妹と母親の生活がかかっている。

もともと私が始めた現業は、「梶本洋子」という名前で売っているから私抜きではありえない。
躁病になんか負ける余裕などないし、もちろんインターフェロンを投与した結果副作用として現れる欝病になんかに罹ることは絶対にできなかった。

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2008年1月 2日 (水)

C型肝炎に罹患するということ -その6

C型肝炎の進行を抑えるウルソ、誘眠剤、ビタミン剤、そして整腸剤に、精神科のお薬。
これで万々歳だったはず。
そうは問屋が卸さなかった。
ひょんなことで出る胃酸過多が始まったのだ。
それもすごい胃酸過多が。
誘眠剤がよく効いた朝、胃痛で目が覚める。
食事中、傍で食べている相棒にすら聞こえる胃からの発するゴロゴロ音。
お医者様から胃潰瘍のお薬を出していただいても、さほど収まらないこの辛さ。
う~ん。い、痛い!

Hirayama先生はいつも優しい。
「ちょっとゆっくりしなさい。」と。
「私のように鈍重にならなければ。」
えっ、Hirayama先生が鈍重とはとても思えない。
「貴女はちょっと神経質だから。」
そう仰りながら、ドアに手を掛ける私の肩を撫でてくださった。
ウッと胸に詰まる先生の優しさであった。

精神科の処方もあって、時間がゆっくり進んできた。
インターフェロンによる診療の辛さに比べれば私の辛さなんて、屁ともないのだろうけれど、その辛さを凌駕して気に入らないのが、実は長時間睡眠と疲労をさけること。
経理は甥が担当しているし、従来より仕事上の分担は減った。
毎日練習していた地唄舞も、今は昔。
合気道も私ひとり見学なんて。
C型肝炎が医原病であった。
だから、そこが私の悔しいところ。
最早54歳。されど54歳。
仕事も、地唄舞も、合気道も。
もっとバリバリできたはず。

それなのに、理由らしい理由が33年も前の手術であるから、私は薬害肝炎訴訟の原告になれない。
そして、インターフェロン投与を行わないと決意したから、国からの支援はほぼないのだろう。

そして、これだけは言わしてもらう。
誰が何と言おうと、身体のだるさや胃痛は整体によって治まっている。
健康保険の対象外である整体によって。

インターフェロンに代わる医療が出る日を待つ身には、今のところ国からは健康保険以外、どんな手も差し伸べられていないように思うのは私だけだろうか。

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C型肝炎に罹患するということ -その5

インターネットの功罪が叫ばれる中、私にとってはこれほどありがたいものはない。
鉄分に関して、食事を摂る上でどう折り合いをつけるべきか。
鉄分には、ヘム鉄と非ヘム鉄があることが分かって、鉄分を控える食事について助言をいただけたのも、インターネットで検索して見つけたサイトを運営されていた先生からだった。

そして、C型肝炎の進行を抑える漢方薬があることも、インターネットで知って、Ishii先生に打診できた。
処方してもらわない限り、患者が入手することはできないウルソは漢方薬である。

しかしながら、自分の様子だけではどんな精神病にかかっているか、それはようと知れなかった。
精神科の待合室は、心療内科の待合室同様びっしりと人で埋まっていた。
待ち時間も尋常でなかった。
原因はすぐに理解できた。
問診と称する診察前の聞き取りに、約45分。
そして診察に約30分を費やしたのだから。
心療内科も同様の時間が一患者に費やされた。
こんな時にお金のことをいうのもなんだけれど、心療内科も精神かも支払った金額は、どちらも400円に満たなかった。
国民健康保険の3割負担にしても廉価である。
結局、私は躁病であった。
「スケジュール帳が真っ黒になって忙しくしている。ご本人さんはとても快適なんですが、周りの方が大変ですしね。」
投薬を処方されて、2週間ばかり様子をみることになった。

ところで、インターネットの功罪といえばドクダミ茶がある。
きっとC型肝炎の進行を抑えるのには効果があるろうと、毎日ドクダミとハブ草を煎じて飲んでいたのである。
誘眠剤が効かない!
という大きな問題が起こったのである。
Ishii先生に「誘眠剤が効かないのです。」とお話をしても薬を変えてくれる様子もない。
看護師である姪に電話をしてみると、「それはきつい誘眠剤だから、処方通りしないとダメと思う。」という。
まさか、と思って妹(双子の片割れ)に電話して判明した。
「そら、あんた。毒消しの漢方薬飲んでんねんから誘眠剤の効果も消されてるねんで。」
なーるほど、そう納得してドクダミ茶を止めたら効果てきめん。
素人の浅知恵とはこのこと。

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C型肝炎に罹患するということ -その4

うつ病の患者さんにしてはいけないことは「励まし」だとか。
「頑張れ~!」と言われれば言われるほど、重荷になるのだとか。
私の場合は、反対であった。
毎日毎日あれとこれと、スケジュール帳が真っ黒になる。
そして、インターネットでC型肝炎は鉄分や銅を摂取してはならない。と知ったが最後、鉄分や銅が含有されている食品をすべて摂らなくなった。
お茶も止めて、野菜も肉もお魚も。
睡眠が必要だと分かっていても、やりたいこととしなければならないこと。そして極端な食生活。
常軌を逸しているそう思ったのだろう。
相棒やてっちゃん(甥)が「そんなに頑張るなっ!」と怒鳴り始めた。

てっちゃんがまだ学校から帰っていないある日。
相棒が仮眠を取っている最中に、突如涙が私を襲った。
何の前触れもなかった。
独りでいることに耐えられなくなったのだ。
そして一週間もたたずに、今度は寝床で一人目覚めて泣いて相棒を起こしている自分に気づいた。
「何かヘン。」
ちょっと異常に気づいても、歳の所為。
涙もろくなったのだと自分を納得させたけれど、とうとうやってきたプッツンはいろんな方に迷惑をかけた。
こともあろうに舞台に上がる直前、急に泣き出したのである。
子供が泣きじゃくるように肩を上下させながら、あと5分もしたら自分たち美鈴会の「涙そうそう」が始まるというのに…。
絶対におかしい。
相棒と甥の、「そんなに頑張るな!」という言葉を聞くにつけ「そんなに叱責をしないで。」と頼みながら、どうやら頭のネジが切れたのを、なんとなく悟った。
そして、Ishii先生から紹介いただいた心療内科の先生は、「是非、明日にでも精神科へ」と仰って、精神科の治療が始まった。

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C型肝炎に罹患するということ -その3

当初からC型肝炎であって肝がんではなかったから、検査結果説明から、担当の先生が変わることを告げられていた。
「Ishii先生はとても良い先生ですよ。」そうお聞きしていた。
あの頃は、薬害肝炎をメディアがまだ大きく採り上げていなかったけれども、消化器内科だけで診察室が10室もあることに驚きながらも閑散とした待合室で名前を呼ばれるのを待っていた。
Ishii先生はもはや肝生検を口には出されなかった。
そして、Ishii先生が良い先生であることを実感するのにそれほど時間はかからなかった。
「C型肝炎に何故罹患したのか」から始まって、私の症状は初期段階であることなどを説明してくださった。
「インターフェロン投与の副作用」の話がでて、相棒が口をはさむ。
「彼女は既に鬱の気があります。そして不眠も酷い。インターフェロンは無理だと思います。」
Ishii先生の口から、いろんな話が出た。
総合すると、C型肝炎はウィルス性であることから放っておくと必ず肝硬変、肝がんになることがほぼ約束されているのだと。
今までたくさんの患者さんを診てこられて、ほんの一握りの患者さんは何ら医療行為をすることなく完治された方がおられること。
そして、私にとって一番恐ろしかったのは、インターフェロン投与中に精神病院に入って戻っては来られなかった方もわずかにおられること。
Ishii先生との面談は、1時間にものぼる。
私たちの結論は出た。
インターフェロン投与をやめる。

地元でお世話になっているHirayama先生に申し送り書を書いていただいて、半年を置いて診察を受けることになった。

C型肝炎でも初期だと分かった。
それでもなお、C型肝炎に罹患していることが、自分の心を蝕み始めていたなんて、その時私はおろか相棒すら気づいていなかった。

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C型肝炎に罹患するということ -その2

超音波を受ける前から分かっていたもう一つの不安は、血管腫。
悪性であれば即刻手術と言われていた。
あまりの不安感から、予約した2時間前には病院に着いてしまって、看護婦さんから「早めにお呼びしましょうね。」と言われた。
それにしても、この病院東邦大学医療センター大森病院は病院特有の臭いがしない。
そういえば、最初訪れた専門病院もそうだった。
病院は明らかに変わったんだと、その日もつくづく感じた。
30分も待っただろうか、名前が呼ばれてベッドに横になる。
先ずは血管腫。
それがなかなかみつからないようで、見習の女医さんと血管腫をみつけようとされている女医先生と。
息を鼻で吸って、ずーっと止めて、口で吐いたら、またずーっと止めて。
結局問診をしてくださった専門医の先生がお出まし。
なさそうで、嬉しい。
このまま見つかりませんようにと、思った矢先。
「あっ、あった!」
その嬉々として叫び声はとても私には違和感があった。
「きれいだ!」
続けて仰った言葉は、素人のわたしにも癌ではなかったことを告げたのが分かった。
今の自分が「憐憫の情」を掛けられるに足ると思いつつも、それでも一つ不安材料が減って、もしかしてC型肝炎もないかも?!
検査が終了してヤレヤレ。
相棒の横に座って一息ついたところで、先生から声が掛る。
「貴女はC型肝炎もあるから、肝臓の硬さもみておきましょう。」と。
やっぱり。
この断定的なもの言い。
どうやら決定的やったらしい。
おまけに、である。
超音波の検査は直ぐに終わったけれど、検査担当のドクターは無口。
う~ん。
さっきと全然違う。

眼前に暗雲が立ち込めて血液検査に向かった。

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C型肝炎に罹患するということ -その1

近くのHirayama先生に紹介いただいた肝臓専門医の先生からは、まず「肝生検」を勧められたけれど、肝臓癌で逝去した父の遺言が『肝生検だけは絶対に受けるな。』であったから、即答でお断りした。
亡父は、「肝生検がもたらす激痛が肝臓癌を悪化させた」と信じて疑わなかった。
それが正しかったのか間違っていたのか、もはや知る由もないがとにかく私は亡父の遺言に従うことにしていた。
医師から返ってきた言葉は意外な内容だった。
「昔に比べれば検査方法も随分楽になっているのですよ。」
そう仰りながらも
「肝生検を受けなくともインターフェロンの治療は受けられますよ。」と。

安堵したのは言うまでもなかった。
なぜなら、専門病院を訪れたのはここが二件目だったから。
最初に行った専門病院の先生は「肝生検」をお断りした途端、「では、当方でやるべきことはありません。」
つまり、門前払いを喰らわされたから。

種々の検査日程を決め始めた際に、「他の病院で検査されましたか?」と聞かれたから、正直に最初の病院でCT検査までしていることを告げた。
「なぜ、病院を変えられたのですか?」
そう聞かれたら嫌やなぁと思う間もなく、仰ったことは誠に事務的だった。
「ではCTスキャンのデータをそちらの病院から借りてきてください。何度もCTスキャンをするのはよくありませんから。」と。
ゲッ!
そ、そんなー。
簡単に貸出してくれはるやろか…。
そんな私の?を通り越して、血液検査と超音波検査の日取りが決められて、次にお話が始まった。

ウィルス性C型肝炎についてのお話。
ではなかった。
「貴方は一体インターフェロンの投与について何をご存じですか。」と、問われたのだ。
私は何もしらなかった、その時点では。
その副作用のいろいろを知らされて、思ったことは一つ。
・時に鬱症状がでる
・不眠症状がでる
・貧血になる
私には…。
向いてヘンかも…。
帰ったらインターネットで調べなっ!
そういう思いと、せなあかん電話と。
それでも、専門医の先生は最後にこう仰った。
「血液検査と超音波をみなければ、最終判断はくだせません。」と。
少し、安堵したのはいうまでもない。

翌日、最初の病院への電話という大仕事をしなければならなかった。嫌やなぁ。これが正直な気持ちだった。
でも…。
主人に頼むことはできない。
自分でやらなければならない。
ダイヤルを回して、事務的に済ませたいという私の願いはもろくも崩れ去り、電話口に担当医が出てこられた。
「実はCTスキャンのデータをお借りしたいのですが。」その言葉の反応は、とても穏やかで優しささえ感じられて、私の緊張は溶けていった。
「結構ですよ。いつお見えになりますか。」と。
「あまり遅くならないうちにご返却をお願いしますね。」とも。

約33年前、両手首骨折が判明したのは松江市内の病院だった。
手術は神戸(郷里)で受けたかったから、そのレントゲン写真を借用したくて件の病院を訪れたが叶わなかった。
頑なまでの断りように、私は二の句が継げなかったのだ。

この違い。
医学はそう言った意味でも進歩したんだ。

肝生検(かんせいけん)とは、肝臓の組織を体外からもしくは腹腔鏡下に直接肝臓に生検針を刺して検体を得た後、組織学的・病理学的に評価・診断すること。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2008年1月 1日 (火)

C型肝炎罹患者のおせち、第2弾

「晩御飯は何にする?」という私の言葉に、「たこ焼きにしょっ!」という相棒。
エッ!そういえば、私と相棒と、てっちゃん(甥)が「み~んな健康!」だと考えていた頃はお客様を迎える献立は「たこ焼き」だった。
地元(東京)の方も、大阪出身の方も一回につき15個焼きあがる、ガスボンベ付きのタコ焼き機を囲んで舌鼓を打つ。
我が家のタコ焼きは、実は蛸なしたこ焼き(何故か3人とも蛸嫌い)。
隠し味に大量のミルクと、少量の酒を使っている。
『こないだ帰った(大阪に)ときに食ったのより、断然美味しかったすよぉ!』だなんて言っていたYoshitake君は今頃どうしているのだろうか。

それでも…。
タコ焼きに、私の天敵である『卵』は欠かせない。
「1日半個やったらええんやろ。」
そういう相棒の言葉につられて、御節(おせち)第2弾は「蛸なしたこ焼き」に決定。

卵4個を使って、たこ焼き粉に、ミルクと酒と。
それをミキサーにかければ出来上がり。
胃酸過多に油は禁物なんだけれど、ここは白胡麻油で「良し?」とする。
1回に15個。
私が3個で、相棒とてっちゃん(甥)が6個ずつ。
これを7回繰り返した時点で、私がギブアップ。
その後3回つまり45個と、残り5個をすべて二人が平らげて、総個数155個を食べたことになる。
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「美味しい!」
「うんうん、美味しい!」
これを3人で連発したのだから、「蛸なしたこ焼き」も我が家の立派な御節であった。

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C型肝炎罹患者、私の本音

33年も前の手術しかC型肝炎に罹患した可能性が見いだせないから、そして私はインターフェロンの投与が受けられないから、「薬害肝炎被害者救済法」にも、「厚労省は08年度からB・C型肝炎患者に対するインターフェロン治療に対する医療費助成の支援」の対象者にもなれそうにない。

つまりは、結局のところ、国が示す一律救済からははずれてしまうことになる。

では、そういった人は私だけなのか。
否そうではないだろう。
C型肝炎でもセロタイプ1型では、インターフェロン投与の効果があまりないというデータがすでに出ていると聞いている。
加えてすくなくとも、インターフェロンの投与を受けた1000人に3人は、副作用による躁うつ病で精神病院に入ったまま出ることがない人もおられるとか。

加えてまだまだ問題は山積している。
私のような自営業者で、仮にインターフェロン投与を行ったとして、副作用故の鬱状態に耐えていけない場合、それは家庭崩壊を意味する。
生計が立たなくなるからだ。

耳に聞こえてくる噂に、
『5年後には新薬がでますよ。それまで、なんとか頑張りなさい。』がある。

それが果たして私に向いている新薬なのかも、今のところ判然としていない。

そういう思いで日々を送っている罹患者の何と多いことか。
それが何故、メディアに取り上げられないのか。

じつのところ、私にはどうにも不思議でならない。

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我が家のおせちはマシュマロ

C型肝炎罹患者は、ヘム鉄(動物性鉄分)や銅の摂取を控えなければならないから、御節(おせち)に入っているほとんどが食べられない。
数の子やごまめ、ローストビーフや貝類、伊達巻に代表される卵製品はもとより、焼き蒲鉾まで、ぜーんぶあかん。
そして胃酸過多は脂が禁物。
だなんて。
まるで鶏さんや兎さんのような食事。
相棒やてっちゃん(甥)も大概はそれに付き合ってくれる。
たまに二人して別メニューもあるにはあるけど、お正月ときたらやっぱり、三人顔を合わせて『明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。』
そう言い合って、御節じゃなくて私たちはマシュマロを食べた。

明治屋のマシュマロも美味しいけれど、以前「自前のマシュマロを作ったら、売っているのなんて絶対食べられなくなるわよ。」と聞いていたから、「なぁ、なぁ、今年の御節はマシュマロにしょ。」と相棒に無理を言った。
出来上がったマシュマロは、焼かないタイプ。
大きなバットに入れで凡そ5時間。
冷やしたマシュマロの塊をナイフで切っていく。
切った端からコーンスターチと粉砂糖をまぶしてできあがり。

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美味しかったかって?
う~ん。
明治屋のマシュマロよりも相当に甘い。
甘過ぎ~!
何ごとも経験。
「よしっ!今度は焼くタイプにしょっか。」
と相棒がめげずに宣言した。

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